父と遊ぶ葉ちゃん |
東京にいる、長女次女の二家族を訪ねる小さな旅は、これから孫たちが小学校に入るまでの時間ははなはだ貴重なので、私が元気な間は、なにがしかのお役に立てればとのおもいが、私を上京に駆り立てるのである。
毎回想う、これ以上五十鈴川だよりを打つと、爺バカのそしりを免れないのは承知しているが、ひとつの爺バカ記録として、わずかであれ打っておきたいのである。もうすぐ2才を終え3才を迎えるが、この黄金日々変化時間を共に過ごせるのは(たまにだから素晴らしいのだ)お爺にしてもらえたものだけが味わえる、幸福時間なのである。
そのようなわが個人的悦楽孫との時間を、つらつら長く綴り打つのは控えるが、今朝は数字をキィボードで100まで打つ訓練を、おもいがけなくすることになったのだが、楽しかった。なにょり孫の葉君が楽しそうにキィを打つので、いうまでもないことだが私も楽しいのである。共に楽しいというのが、孫と遊ぶ一番の秘訣である。義務で本を読んでもダメである。その事を孫に教えられる。
これはすべての関係性に通ずることであると、あらためて知らされる。利害関係なくともに楽しい時間を過ごせる関係性をいかに築いてゆくのかというのは、大袈裟ではなく生きて行くうえでの永遠のテーマでもある。葉君との時間は、溜まりにたまった私の精神のアカを落とすには最高のお相手なのである。
わが孫たちは私の老いゆく時間を、照らしてあまりある存在である。思いつく口から飛び出す様々な今の音、言葉を繰り返し発語する。その邪心のない存在の言葉は、まさにかけがえがない大人にはだせない類いの聖域の音である。十分すぎるほどの老人の今の私に元気を注ぎ込む。
つかの間五十鈴川だよりを打つそばで、ひっきりなしに、娘と父に葉ちゃんは語りかける。聞き分けがいい。だから安心して打てる。親子、爺と孫、友人、知人、気持ちのいい関係性をキープしてゆく秘訣には何が必要なのであるか。きっと無私で相手と接するなかからしか生まれ得ない、そのようなことを葉君は私に示してくれる。
今日はこれから父は所用がある。私と葉君と娘は動物園にお出掛けである。さて、どのような一日になるのか、例え大きくなり葉ちゃんの記憶に残ってはいなくても、こうやって一行でも打っておけば、私がこの世から消えても大きくなった葉ちゃんが読んでくれるかもしれない、のだから。(葉ちゃんは今目の前でお片付けをしてる。ひっきりなしに娘に語りかけながら)
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