東京家族訪問旅5日目の16日の朝である。本当は今日帰る予定であったが、一日延長明日帰ることにした。さて忘れない打ちに、昨日のささやかで満ち足りた嬉しい出来事をスケッチふうに打っておこう。昨日お昼前、交遊歴46年、3月26日の岡山でのシェイクスピアリーディングレッスンにも初回だけわざわざ神奈川から参加してくれた河合さんが、稲城のマンションまで私に会いに来てくれた。
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彼が稲城駅に着いたのが11時半、駅の居酒屋でほぼ4か月ぶりに再会ランチを済ませ、娘のマンションに移動、マンションのカフェでお茶をし、暫しの歓談。途中娘の旦那さんレイさんとノアも加わり午後2時近くまで、愉しいお茶時間を堪能した。マンションを辞するとき娘も(小さいときから河合さんのことを知っているのです)挨拶に降りてきた。
そこから私とノアくんと河合さんの3人でレイさんが今年の春から借りている家庭菜園場まで、駅の近くなので、ほぼ1キロ位の距離3人で散歩がてら歩いた。河合さんはノアがとりとめなく話すことにいちいちうなずきながら、絶妙のタイミングで突っ込みをいれ反応する。その二人のやり取りを見ていて思った。やはり稲城のマンションまで来てもらって本当によかったと。ノアは古い付き合いの私の友人との思わぬ世代を越えた言葉のやり取りが実に楽しそうであった。
そして想うのである。子供は特に小さい頃、両親とはまたことなる、いろんな暖かい大人に囲まれてこそ、すくすく育つのだということ再確認したのである。それにしても二人のやり取りは、五十鈴川だよりに打たずにはいられないほどに、ほんわかしたかけがえのない情景として私の脳裏に焼き付いた。ぽっかりつかの間いい時間であった。
午後3時過ぎ、稲城駅で河合さんとはお別れ、ノアと河合さんはわずか2時間くらいの交遊時間ではあったが、普段とはことなる時間が過ごせノアも喜んでいたのが、お爺の私も嬉しかった。この場をかりて河合さんにはお世話になったお礼を、一言記しておきたい。
それにしても、似たようなことばかり打ち続けている、老人性五十鈴川だよりであることは重々承知しつつも、老いてなおあえて打つが、みずみずしい交遊力が持続していることの不思議なありがたさはなんと形容していいものやらわからない。友遠方より来たりまた楽しからずや、とでも言うしかないほどに、黄金の落日を思わせる旧友との再会時間が流れたことのありがたさを五十鈴川だよりに打っておく。
PS 河合さん、ノアくんとのカボチャをもったトゥーショット娘の要望で掲載付加、お許しあれ。
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