昨日から交代で妻が東京家族のところに出掛け、わずか4日間ではあるが一人生活である。水曜日夜に戻り、木金と猛暑のなか午前中働き、かなり疲れてはいるのだが、ぐっすり寝たお陰で五十鈴川だよりを打ちたくなるほどに元気である。
神田で見つけた本、知らなかった |
いつものように5時には起き、メル散歩掃除洗濯をすませてキィボードに向かっている。この猛暑での肉体労働、ちょっとフルタイムでは無謀である。午前中のみだからこの年齢でもやれている。生活意欲の欠落、心とからだが連動しなければ、肉体労働と音読は私の場合無理である。とくにシェイクスピアの音読は、私にとっては肉体労働なのだから。
だから、一日でも長く生活音読するため、生活労働を私はしているのである。おそらく労働ができなくなったら、参加費を募ってのシェイクスピアのリーディングも辞することにする。それくらいの覚悟でもって、日々生きているつもりである。ある種の予感なのだが労働、音読が出来なくなったらきっと他に出来ることが見つかるのではないかという、私はオプティミストである。
18歳から世の中に出て、何度も困難に遭遇し、その都度の歩みを選択しながらこの年齢まで生きていられている現実をかんがみるときに、にわかには信じられないほどの運命のお導きとでもいうしかないほどの、自分にしかわからないおもいに満たされる。がそのことのいちいちを五十鈴川だよりで打つのは、長くなるので控える。(もっと年を重ね時間があれば書きたいが、書けなくても悔いなし、五十鈴川だよりで十分である)
この度の上京で、何かが吹っ切れたような自分を感じている。なにかを手離すことで、またなにがしかの展開が始まるような予感がしている。マイスターに聞け、のおもいがけない企画を無事に終えることが出来、この夏十分に休みつつ学び、秋から本当にシンプルな、シェイクスピアを読んだことがない人対象の音読講座を静かに始めたくなっている。
その慎ましい講座がやりたくなったのは、6才の孫望晃(ノア)と70才から本格的にシェイクスピア作品の音読に挑戦している我が盟友河合さん、そして71才からシェイクスピア作品の音読を始めた瀬政さんからインスパイアされたからである。そして何よりもやはり私はシェイクスピア作品が好きなのだということの自覚が、一段と深まっているからだとおもう。その事が私を講座企画に向かわせているのだ。深い理由などなにもない。シェイクスピア作品の面白さが伝わる音読レッスンがやりたい、ただそれだけである。
そのような想いを長女に伝えたら、長女があっという間に簡単なチラシを作ってくれることになった。秋のタームは9月から4ヶ月、月2回ハムレットを。来年春のタームは3月からテンペストをリーディングすることにした、のである。8月、一月募集をかけて参加者を募る。
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