ページ

2024-07-31

9月から4ヶ月、秋のターム、シェイクスピアのハムレットの音読講座を月2回やることにしました。

 お休みは今日まで、明日からは8月、肉体労働に復帰したらのんびりと五十鈴川だよりを打つ余裕は減るので、短い夏休みの老人の一日ををいとおしむかのように、タブレットに向かうわたしがいる。はやい話、五十鈴川だよりを打つのが好きなのである。

猛暑を忘れるほど学ぶのは楽しい

今朝もお休みの日のルーティン朝ワーク、裸足散歩から戻ってきての五十鈴川だよりタイムである。大地の上をわずかな時間裸足で歩いただけで、足の裏がジンジンシテ気持ちがいい。老人の私の足であれ、小石で刺激を受け血のめぐりがよくなっていることが実によくわかる。

熱中症アラートとか、水分をこまめにとかの御注意を聞かない日はないといっても過言ではないが、あくまでも個人個人で考えて責任をもって行動すべきことはいうまでもない。ただ私の場合はあくまでも、自分のからだのあんばいを量って、無理はしないけれど、あくまでも気持ちが良い程度のなかでやれるルーティンからだ動かしを、年相応にやっているだけである。何よりもリズムよく一日を過ごすための方策としての、裸足散歩をはじめとするルーティンなのである。

ところで、話は変わるがシェイクスピアのハムレットの音読レッスン、休んでいたわけではないのだが7月に入ってのあまりの暑さに、公を対象にした、募集をかけてのレッスンは秋から始めることにし、個人レッスンのみ、わたしがやれるときにやることにしたのだが、8月3日午後瀬政氏からレッスンの希望が入ったのでもちろんやることにした。

マンツーマンでのレッスン、ひとりでもふたりでも10人くらいまでならほとんどやることは変わらない。相手の人柄をふまえて自然とレッスンをするだけである。9月からはシェイクスピア作品を読んだこともないヒト(もちろん読んだことのあるかたも含めた)主に熟年層を対象にした、月2回のレッスン講座を秋4ヶ月、来年春4ヶ月やることにした。私自身声が出る間は続けたい。

長女に私の思いを伝えたらすぐに簡単なフライヤーを作ってくれたのにも背中を押された。あちらこちらでカルチャー講座がおこなわれているご時世、シェイクスピアというと未だ敷居が高く、多くの参加者が望めないのは重々承知しているが、だからといって手をこまねいている必要は全くない。71才で初めてシェイクスピア作品を手にし、月に2回くらいのレッスンなら参加したいといってくれている瀬政氏の存在にも背中を押された。

60才以上、もちろん以下でも全く構わないのだが、この大空の下にはどのような可能性を持ったかたが存在しているのかわからない。アクションを起こさない限り、出会うことはない。未知のシェイクスピア作品に、瀬政氏のように意外性に満ちたご仁が存在しているかも知れないではないか。

私の声が出ず意欲がないならともかく、自分で言うのも気が引けるが、この猛暑の最中であれ元気に音読リーディングができているし、もっと言うならば、シェイクスピア作品のリーディングが、大きな声は出さずともますます愉しくなってきてる、のだ。

それは、これまた自分で打つのも気が引けるが、年齢と共にそれなりの日々の経験値の積み重ねが、シェイクスピア作品のリーディングにまったく無駄なく活かされていると感じるからである。でなければ募集をかけレッスン料をいただいてまでのアクションは無理である。

やるのかやらないのか、ハムレットのように私は自分に問う。青春とは何か、ヒトはなぜ恋するのか、ヒトは何故争うのか、成功とは何か、幸福とは何か、仲間とは何か、友情とは何か、家族とは何か、戦争とは何か、老いをどういきるのか、、、、。あらゆる問い、この世にせいを受けやがて迎えるこの世のすべてとのお別れ、死まで。シェイクスピアは問う天才である。

シェイクスピアの宝石のような作品群の、傑出した登場人物の珠玉の台詞を共にリーディングし、ひとりでも多くのヒトがシェイクスピア作品のファンになってほしい。それが老いてなお私にアクションを起こさせるのである。

2024-07-30

柔道、阿部兄妹の姿、詩さんの涙、家族の絆に打たれた五十鈴川だより。

 今朝もお休みの日のルーティンワークを、運動公園でわずか30分ほどやり、水浴をして朝食をすませ、五十鈴川だよりを打っている。お休みの日は出来る限り五十鈴川だよりを打つように心かけている。タブレットの前に座り、今日の蝉時雨に耳を傾けていると、今日の五十鈴川だよりが打ちたくなる。

戦前の昭和を少しでも学ぶ夏

さて、今日はお昼を本当にひさしぶりに妻とランチに出掛けることになっている。子供を育て上げ、娘二人が伴侶を見つけ家を出てからの十数年以上、ほとんどの時間を妻と二人で過ごしている。

晩年の夫婦時間の過ごし方、お互い老いてゆくことも含め、家族の行く末も視野に含めながら、今のところ穏やかな老夫婦生活がつつがなくおくれている。ただただ在りがたい。これ以上は野暮なので打たない。

話は変わる。時おりオリンピックを見ている。阿部詩選手が敗戦した。私は一人の若い女子がこれほど臆面もなく、会場で号泣する姿というものを映像を通してこれまでの人生で初めてみた。一言で言えば金メダル以上のなにか言葉にならない感動が、今を生きる老人の私を打った。

オリンピック開始直前、兄妹揃って出演したNHKのファミリーヒストリーを見ていて、阿部ファミリーの清々しいまでの思いやりと、たくましいというしかないご先祖の歴史、生活力に打たれた私は、この兄妹の試合はなんとしても、勝負は別にして見届けたいと思っていたのだ。

詩さんの2回戦、当人も驚く意外な勝利の女神がするりと消えたかのような試合となり、思わぬ号泣シーンを目撃するはめになった。あまりの純粋さ、一途さ、泣き崩れる姿に私は打たれた。今時このように臆面もなく人前で号泣する若い女性がいることに驚くと共に、今を生きる我々が忘れている何か勝負を越えた大事なものを、彼女の姿から教えられた気がしたのである。

一方妹の敗戦を見届けた、兄の試合態度がすごかった、これまた人間の素晴らしさ、兄妹愛の極致を見た。見事だった。妹の分まで絶対金メダルを取るという気迫が顔にはでないが、全身からただならぬオーラが画面を通して伝わってきた。鼻血を2度治療しながらの、一瞬の隙を見逃さないあのすごさ。結果兄は金メダル連覇を成し遂げた。素人の私には柔道の奥深さはともかく、家族全員のお互いの思いやりが、結果的に、こうまでも美しいとしかいいようもないほどの果実をもたらすというお手本のような家族を目の当たりにできた喜びが、私に五十鈴川だよりを打たせる。

この世には千差万別の家族が存在するとおもうが、この阿部ファミリーの無言の絆の深さには、まさに理想的な家族の姿を垣間見たような気がする。平凡に生活している家族がお互いを究極的なまでに支えあっての金メダル。詩さんはメダルは逃したといえども、私には金メダル以上の大切なことが伝わってきた泣き姿。(家族と共に老人の私も今少し成長し支え合いたい)

会場に拍手、詩コールが響いていた。詩さんの姿にメダルの色以上の国や人種を越えた感動ヒトである人間を突き動かしたのだと想う。オリンピックに賛否両論あるが、このような、まさにドラマは真剣に生きているもののみにこそ、降臨する。そのようなことを感じてしまうほどの美しい詩さんの涙だった。

2024-07-29

万事塞翁が馬、楽あれば苦あり、一日一日酷暑の夏を楽しみつつ乗りきりつつ、想う。

 うんざりするほど暑い夏が、と打つのも嫌になるほどに続いている。だがありがたいことに、自分でも信じられないくらい、元気に今のところ過ごせている。お休みはほとんど家で静かに暮らすということを実践しているのだが、昨日の午前中と、今朝は菜園場にゆき茄子やオクラ、トマト、ピーマンなどに水をやり、木陰のある時間帯に草取りをやって来た。

今朝収穫した恵み、水不足小粒だ

いずれも1時間半くらいで切り上げたが、こうも雨が降らないと、人間同様野菜も全く元気がなくなる。もうバイト先の菜園場での素人野菜育ても6年近く、一事が万事継続することで、じかに野菜と向き合うことで、毎年なにがしかのことを学んでいる。

とくに手術後、古稀を過ぎてからは土に向かい合う時間を大切にしている。土に根を張る手強い雑草を除去する根気のいる作業は、未だ私の心と体の健康チェック機能を量るうえで欠かせない。たとえ猛暑であれ草は勢いよく瞬く間に延びている。

その生命力たるや毎回驚かされる集中力と根気を養うにはかかせない。草は老人の私を鍛える。ヒトには見せられない四つん這い姿での匍匐前進草取りはわたしが考案したもの。これは富良野塾で体得した。これが一番腰に負担がなく、体幹の訓練にもなる。

昨日今日さつまいも畑に密集する雑草の除去に従事したのだが、2時間以内が限度のこの夏の暑さである。熱中症という言葉をこの数年聞かない夏はない。60代までは自分にはあまり縁の薄い言葉のような気もしていたが、熱中症のような事態が我が身にも十分に起こりうる年齢である。けれども私はあまり数字や過剰な報道情報にはどこか距離をおく。自分の体が発する情報をこそに耳を傾ける。何かの予兆、気が進まないとか、やる気が起きないとか。

午前中の過ごし方と午後の過ごし方は異なる。私の暑さ対策というほどのこともないのだが、午後はのらりくらり怠惰に過ごす。だがせっかくのお休み、鋭気を養うためにも規則的なリズムのある生活を心かけている。五十鈴川だよりを打つことも機能調節維持のためにはかかせない。とくに午後から夕方にかけて温度が上がり続け下がらない時間帯の過ごし方でわたしが還暦以後、続けていることのひとつがお昼寝である。

お昼寝の前後には水浴をする。下半身水に浸かっての読書も欠かせない。こうも暑いと食欲が低下するのを避けるため、草取りなどしてなるべく汗をかき意図的にお腹をすかせ、食べたら眠くなるので、睡眠だけは十分にとるように心かけている。クーラーが苦手なのでつとめてクーラーに頼らず、部屋の窓を開け放し、風のあるところを移動しながら本を読む。今も2メートル位のところから扇風機を浴びながら打っている。

つとめて何かに熱中する、部屋の環境を整え暑さをやり過ごす、ということを古稀を過ぎて私は実践している。ゆっくり動き一日一日やり過ごすことの積み重ねしか、高齢者の私の出来ることやりたいことは夏には他にはない。限りなきシンプルライフを生きる。昨年後半50年以上購読していた新聞を取るのもやめたことは、すでに打った記憶があるのだが、限りなき情報遮断生活に入ったので、ほとんど新しい情報が入ってこない。その事でもって困ったことは今のところ全くない。

新聞をとっていた間、気になった記事を切り抜いていたノートが数十冊あるので、気が向いたときにそれらの古い記事を読み直すだけでも、もう私には余分な情報は不要なのである。

これからの未知の時間は、ますますもって、未知のなにも持たない旅、未知の本(繰り返し読みたい本)、折々会いたくなる長い交遊友達との時間、そしてかけがえのない家族との時間を最優先に、との思いを新たにする。老人の私はガマノ油のようにじっと汗をかきながら酷暑の夏を生きている。

2024-07-28

酷暑の夏、パリオリンピックの祭典が始まり、無事に終わることを祈る、五十鈴川だより。

 暑い日が続いている。この数年、いやもっと前から酷暑の夏、災害の夏が続いている。すでに何度も打っているが、毎年この夏を肉体労働をしながら乗りきるための方策のようなことを自分なりに考えて過ごしている。(お陰さまで元気にうだる夏を過ごしている)

7月の労働は一昨日で終わり、昨日から夏休み気分で過ごしている。こう暑いと小さな旅にも出掛ける気がしない。そういうわけでちょうどパリオリンピックが始まったので、関心のあるスポーツだけ、集中して見るようにしておかないと私の夏休み時間はあっという間に過ぎてしまう。

話は変わるが、私は相撲が大好きである。今日は千秋楽、昨日照ノ富士が2敗となり優勝の行方も結びの一番までわからなくなったので、楽しみである。私は小さい頃から虚弱体質で、スポーツとはまるで無縁、団体競技などもほとんどしたことがない、スポーツ音痴なのだが、どういうわけなのか見ることは大好きである。

とくに相撲は番付があり、白星と黒星では、ときに天国から地獄へという表現があながちオーバーではないほど、厳しい競技、非情である。10番勝てなかった霧島は大関から陥落する。貴闘力も来場所10番勝てなかったら大関の座を失う。常に痛みや試練が付きまとう。相撲ほど怪我が付きまとう競技を私は他に知らない。もちろんラグビー他、怪我と隣り合わせのような競技は多いけれど、長くなるからはしょる。

変な表現だが相撲にはやや残酷な美を感じる。スポーツにかぎらず、人間がこの世で社会生活を営むという行為は、どのような仕事に従事していても何人も己との戦いという宿命からは逃れられない。とくにスポーツ選手は常に極限まで己の肉体と対峙しながら戦う。(なまくらな私などの想像を越えた世界を生きている、だから力士や本物のアスリートを私は尊敬している)

話を相撲に戻すが、怪我も含めあらゆる修羅場を己の体で経験し、幕内の上位まで上り詰め、天から授けられた肉体ひとつ、まさに体を張ってしのいでこられた、数々の名力士をこの年齢まで見続けられていることは幸せなことである。(気分が沈みがちなときに、今もだがどれだけ勇気づけられ励まされていることか)

相撲の世界では修羅場をくぐってある境地に達し、一気に強くなると、俗に化けると表現する。顔つきも厳しくなり動きひとつにも落ち着きと、ある種の覚悟を決めたもののみが放つオーラのようなものを感じる。(あの丸い土俵は日々戦場である、そこからは逃れられない)

横綱だけの、綱を張ったものの放つオーラももちろんすごいのだが、恵まれた体格や反射神経を持ち合わせてはいなくても、個性が際立つ取り口で見ているものを唸らせる、感動させていただける力士がいる。今場所で言えば宇良とか平戸海とか若隆景、翠富士とかが私のご贔屓である。

小さい力士が大きい力士を技能と根性で立ち向かう姿に、よしんば負けてもその心意気が、私の胸を打つのである。愚直なまでに一生懸命相撲をとりきる姿、そこに打たれる。潔く明暗の別れめに殉ずる。一人横綱の照ノ富士は大関から怪我で序の口まで落ちて、そこから再び横綱まで上り詰めた。膝に爆弾を抱えながら、必死に横綱の責務を果たそうとする姿に打たれる。

蝉時雨・一瞬の夏・パリ五輪

どのような人生を送ってこられてきた方でも、試練の訪れなかった人というものは皆無であると思う。スポーツといえば、やはり黄金期は若いときに集約される。その肉体がピークの黄金期にしか放てないオーラがあると思う。勝者とは医者、明暗は非情、ときに残酷である。

またもや話は変わる、パリオリンピック始まったばかり、メダルの数などには関心がない私である。やり投げの北口選手や、柔道、体操、レスリング、陸上競技他、ほとんどお金とは無縁のよくは知らないスポーツ競技をこそ、名前を知らない若い選手たちの輝きをこそ見届けたいし、同時代共に生きて競う異国の宝石のようなヒト、選手たちの輝きをこそ見届けたいと思う老人の私である。

賛否両論、政治、国家間の思惑を暫し置いといて、様々な問題を秘め抱えながら祭典は始まった。何はともあれ100年以上の歴史が刻まれた祭典が無事に終わることを、日本の片隅に生きる一人の老人として祈らずにはいられない。

2024-07-21

わずかな日々、老人自炊生活を送りつつ、妻への感謝に思いを馳せる猛暑の夏。

 妻不在で2日ほどをつつがなく過ごして日曜日の朝を迎えている。次女のところにステイしている妻からは、孫の葉くんと、たぶん井の頭公園で愉しそうな写真が送られてきた。

親友がプレゼントしてくれた

私のことが心配なようすだが、案ずることなにもなしである。今朝も(洗濯は昨日したので今日はなし)メルや花の世話をし、買い物も涼しい内にすませ、(買い物の途中運動公園により平均すると週3回は続けているルーティン事も)簡単に掃除をし五十鈴川だよりが打ちたくなった。

わずか5日ほどなのであり、孫が授かってからは、これまでも度々経験しているのでもうすっかり慣れてはきているのだが、(俗にそうこうの妻などというが)このままずっと一人で過ごすということになると、ということなども、やはりこの年齢だからこそ、普段から考えながら生活を送らねばならないとの、ある種の覚悟というとオーバーだが、まあそういう考えたくはなくとも考えねばならない摂理を殊勝に感じる、私がいる。

明らかに老いてゆく準備を、考えられるときに、五十鈴川だよりをうちながら考えてゆく構えを養わないといけないとは思う。だが人間とはいいかげんなもの、とくに私はそうである。たぶんぎりぎりまで、いいかげんに生きてゆく、そのような絶対矛盾をいったり来たりするのではないかという気が、今はしている。

話題を変える。さて、今日も3食自分で簡単な調理をする。すでに金曜日から6食を朝昼夜と自炊している。作ったものは、お昼はとにかく野菜たっぷりの、ラーメンとスパゲッティ、朝は妻特製の具だくさんのお味噌汁、納豆、目玉焼き、海苔、バナナ、ヨーグルトにご飯かパン。夜は肉野菜炒めや、ふるさとの干物、アスパラガスを焼いたもの、等々老人なりに工夫してこなしている。

決まりきったかのような献立の繰り返しなのだが、基本は有り合わせの、小さい頃から食べてきたものに限りなく回帰している。そして何よりもお腹がすくのが何よりも美味しくいただくコツだと心得ている。この猛暑のなか今のところ食欲も普通なので、日々それをキープしてゆくだけ、極めてあらゆることが私はシンプル、単細胞なのである。そして想う、最後に食物をいただけることへの感謝である。

何年も何年もの繰り返し。作って後片付け、掃除洗濯買い物、ごみだし、水やり、等々、人一人生きてゆくだけでも、この身の回りの生活雑事をきちんと一人前にこなせないと、たぶん人として未熟の烙印をおされてしまうのではないか。一事が万事に通ずるのはいうまでもない。

丁寧に、出来るだけ丁寧に老人なりに工夫して日々を生活する、それが出来ることの平凡な喜び、諸事が億劫にならないように、なるだけ自分でやれることには、自力で事がなせるようにしなければと、妻不在の日々に思う。

PS 今日の写真は、先日の上京で河合さんが私にプレゼントしてくれた本である。猛暑の夏、涼しい部屋で今日は、めったに手に出来ない本を静かに読みたい。

2024-07-20

猛暑、蝉時雨を聴きつつ秋に思いを馳せ、打つ今朝の五十鈴川だより。

 昨日から交代で妻が東京家族のところに出掛け、わずか4日間ではあるが一人生活である。水曜日夜に戻り、木金と猛暑のなか午前中働き、かなり疲れてはいるのだが、ぐっすり寝たお陰で五十鈴川だよりを打ちたくなるほどに元気である。

神田で見つけた本、知らなかった

いつものように5時には起き、メル散歩掃除洗濯をすませてキィボードに向かっている。この猛暑での肉体労働、ちょっとフルタイムでは無謀である。午前中のみだからこの年齢でもやれている。生活意欲の欠落、心とからだが連動しなければ、肉体労働と音読は私の場合無理である。とくにシェイクスピアの音読は、私にとっては肉体労働なのだから。

だから、一日でも長く生活音読するため、生活労働を私はしているのである。おそらく労働ができなくなったら、参加費を募ってのシェイクスピアのリーディングも辞することにする。それくらいの覚悟でもって、日々生きているつもりである。ある種の予感なのだが労働、音読が出来なくなったらきっと他に出来ることが見つかるのではないかという、私はオプティミストである。

18歳から世の中に出て、何度も困難に遭遇し、その都度の歩みを選択しながらこの年齢まで生きていられている現実をかんがみるときに、にわかには信じられないほどの運命のお導きとでもいうしかないほどの、自分にしかわからないおもいに満たされる。がそのことのいちいちを五十鈴川だよりで打つのは、長くなるので控える。(もっと年を重ね時間があれば書きたいが、書けなくても悔いなし、五十鈴川だよりで十分である)

この度の上京で、何かが吹っ切れたような自分を感じている。なにかを手離すことで、またなにがしかの展開が始まるような予感がしている。マイスターに聞け、のおもいがけない企画を無事に終えることが出来、この夏十分に休みつつ学び、秋から本当にシンプルな、シェイクスピアを読んだことがない人対象の音読講座を静かに始めたくなっている。

その慎ましい講座がやりたくなったのは、6才の孫望晃(ノア)と70才から本格的にシェイクスピア作品の音読に挑戦している我が盟友河合さん、そして71才からシェイクスピア作品の音読を始めた瀬政さんからインスパイアされたからである。そして何よりもやはり私はシェイクスピア作品が好きなのだということの自覚が、一段と深まっているからだとおもう。その事が私を講座企画に向かわせているのだ。深い理由などなにもない。シェイクスピア作品の面白さが伝わる音読レッスンがやりたい、ただそれだけである。

そのような想いを長女に伝えたら、長女があっという間に簡単なチラシを作ってくれることになった。秋のタームは9月から4ヶ月、月2回ハムレットを。来年春のタームは3月からテンペストをリーディングすることにした、のである。8月、一月募集をかけて参加者を募る。

2024-07-17

7月17日水曜日、東京家族訪問旅雑感、岡山に帰る日長女のリビングで打つ。

 東京家族訪問の小さな旅も、5泊6日充実した時間が流れ、今日の夕方には岡山に帰る。もう少しいたいくらい、後ろ髪をちょっと引かれるくらいのお爺気分である。極めて情が移りやすい日本的情緒老人男の私である。

レイさんとノアが学んでいる

今朝お別れに、ノアをマンションから徒歩15分くらいの稲城市立南山小学校まで送って行ったのだが、ものすごい勢いで成長しているノアとのお別れがちょっと切なかった。

彼の部屋の二段ベッドの下で3日間密に過ごしたので、共に過ごしたもののみが持ちうる世代はことなるが男同士の関係性。暗黙の親しくなる関係性を育むには、共に生活するしかないのだと、私はまた、あらためてノア君から学ばせてもらった嬉しさが、五十鈴川だよりを打たせるのである。

昨日は、終日雨で午後2時半、南山小学校までノアを迎えに行き、一旦荷物をマンションに置いて、その足で稲城の隣の駅青葉台の大きな書店まで、ノアと二人で、小学校一年生のための漢字やひらがな、算数、英語のドリルをどしゃ降りの中買いに行った。

その大きな素敵な本屋はちょっと駅から離れていて、折からのかなりの激しい雨で、二人とも膝からしたがずぶ濡れになった。大人は濡れると気持ちが悪い等々、ネガティブに考えがちだが、わが孫はそのようなことは全く気にしない。雨にも負けず、風にも負けず、雨を楽しみ、風を楽しみ、力強く小学校一年生の今を彼らしく生きていて頼もしく、そのような姿がいじらしく、お爺としてはついノアのお気に入りレゴが買ってやりたくなる。

当たり前のことなのであるが、私の小学校一年生の時とは隔世の感の時代をノアは生きている。端から見ていると大変そうであるが、私は安心している。どのような時代に生まれようが、自分の足で一歩一歩歩いてゆく宿命からは何人も逃れられないのだから。一日一日があっという間に過ぎてゆく、せわしないこと極まれるといったあんばいの世相のなか、一年生になったばかりのノアは懸命に生きているのが伝わってくる。だが辛そうにしていない。

一月前から空手の稽古にも励んでいる。自らやりたいと言ったのだそうである。詳細は割愛するが習い事がこれで3つ。爺としては多いのではと心配になるが本人がやりたいのだから、両親にお任せ、余計なことは一切口にしない。お爺の役割とは何か、認知機能のキープのためにも五十鈴川だよりを打ちながら考えねばならない。

打っていると脳が活性化、水溜まりでわざとスニーカー👟をバシャバシャ、しぶきを飛ばして遊び興ずるノアがいる。愉しいことには理由がない。プレイヤー、天真爛漫自由自在である。その姿を見ていて爺は考え想うのである。幸福とはいったい何なのであろうか。

ノアとのつかの間、瞬間の幸福が老いたからだに包まれた。(間もなくオリンピックが始まるが、少なくとも頂点を極めることだけが人生の目的ではないとの側に私は立つ。ノアを含めたわが孫たちには、あくまでも自分と言う唯一の存在を耕し、他者に思いを馳せ共に、つましくも面白く楽しい世界を見つけ、歩んでほしいと願うだけである。水溜まりがないと、今しかできない水遊びはできないのだから)

今回の東京家族訪問小さな旅は、ささやか五十鈴川だよりでは記しきれないほど、実りの多い小さな旅ではなく、大きな旅になった。長女家族、(今もそばで娘はリモートで仕事をしているレイさんは仕事に出掛けたが半分は在宅での仕事である)次女家族両親共に必死に働き、懸命に助け合って子育てしていた。見届けた私はまたもや幸福感に包まれる。そのありがたさを最後に一行打っておきたい。


2024-07-16

交遊歴46年神奈川三浦に住む親友河合さん稲城にやって来る、ノアと共にカボチャ収穫、そして想う。

 東京家族訪問旅5日目の16日の朝である。本当は今日帰る予定であったが、一日延長明日帰ることにした。さて忘れない打ちに、昨日のささやかで満ち足りた嬉しい出来事をスケッチふうに打っておこう。昨日お昼前、交遊歴46年、3月26日の岡山でのシェイクスピアリーディングレッスンにも初回だけわざわざ神奈川から参加してくれた河合さんが、稲城のマンションまで私に会いに来てくれた。

  • ノアあっという間にレゴ作品を作る

彼が稲城駅に着いたのが11時半、駅の居酒屋でほぼ4か月ぶりに再会ランチを済ませ、娘のマンションに移動、マンションのカフェでお茶をし、暫しの歓談。途中娘の旦那さんレイさんとノアも加わり午後2時近くまで、愉しいお茶時間を堪能した。マンションを辞するとき娘も(小さいときから河合さんのことを知っているのです)挨拶に降りてきた。

そこから私とノアくんと河合さんの3人でレイさんが今年の春から借りている家庭菜園場まで、駅の近くなので、ほぼ1キロ位の距離3人で散歩がてら歩いた。河合さんはノアがとりとめなく話すことにいちいちうなずきながら、絶妙のタイミングで突っ込みをいれ反応する。その二人のやり取りを見ていて思った。やはり稲城のマンションまで来てもらって本当によかったと。ノアは古い付き合いの私の友人との思わぬ世代を越えた言葉のやり取りが実に楽しそうであった。

そして想うのである。子供は特に小さい頃、両親とはまたことなる、いろんな暖かい大人に囲まれてこそ、すくすく育つのだということ再確認したのである。それにしても二人のやり取りは、五十鈴川だよりに打たずにはいられないほどに、ほんわかしたかけがえのない情景として私の脳裏に焼き付いた。ぽっかりつかの間いい時間であった。

ノアくんの愉しい道案内でようよう菜園場についた。河合さん自身も菜園場を持っていて、お土産に玉ねぎ、ジャガイモ、そしてカボチャをいただいたのだが、レイさんの菜園場にも見事なカボチャが育っていた。河合さんとノアとのカボチャの思い出ができた。

午後3時過ぎ、稲城駅で河合さんとはお別れ、ノアと河合さんはわずか2時間くらいの交遊時間ではあったが、普段とはことなる時間が過ごせノアも喜んでいたのが、お爺の私も嬉しかった。この場をかりて河合さんにはお世話になったお礼を、一言記しておきたい。

それにしても、似たようなことばかり打ち続けている、老人性五十鈴川だよりであることは重々承知しつつも、老いてなおあえて打つが、みずみずしい交遊力が持続していることの不思議なありがたさはなんと形容していいものやらわからない。友遠方より来たりまた楽しからずや、とでも言うしかないほどに、黄金の落日を思わせる旧友との再会時間が流れたことのありがたさを五十鈴川だよりに打っておく。

PS  河合さん、ノアくんとのカボチャをもったトゥーショット娘の要望で掲載付加、お許しあれ。

2024-07-15

7月14日日曜日、次女家族のリビングで打ち、翌15日朝稲城の長女のマンションで打つ五十鈴川だより。

    東京家族訪問旅あっという間、4日目の朝です。次女の住むリビングで朝食後、洗濯物を干すのを手伝ったあと、(梅雨なので家のなかに干したあと、乾燥機にいれる)わずかな時間を見つけて打つ五十鈴川だより。

旦那さんの周さんは掃除機をかけたり、葉くんの子供用乗り物レゴの片付け他、もうすぐ長女家族がやって来るので細々しく動いている。子育て真っ最中なので、お爺の私としては、なにがしかの生活雑記記録として一行でも打っておきたい。なにかと慌ただしいのだが、ちょっとの合間を見つけてでもうっておきたいのである。起きてすでに3時間がたつが、昨日と同じように早起き葉くんと数字遊びをしたりして、二人時間を過ごした。
両親が作った壁の3才のお祝い飾り、葉が一杯。


昨日は井の頭動物園の中にある、水遊びできるところで、葉くんと水遊びに興じたのだが、葉くんが心から楽しそうに遊んでいる姿にこちらまでが、すっかり楽しい気分になり私もともに水に浸かり幸せな思い出がまたひとつできた。

娘と葉くん、私の3人2台の自転車で井の頭公園のそばの動物園まで出掛けたのだ。娘の住む近くに鬱蒼と大木が生い茂る広大な井の頭公園、そばには動物園。小さな子供を育てるには東京ではまたとない環境に葉くんはいる。

吉祥寺は私が34才の時妻と出会ったところであり、今となっては今昔の感があるがよいところである。長く生きていて一番嬉しいのは、辛い思いでも含めても乗り越え乗り越え、新しい家族が増え、こうやってなにはなくても穏やかな一瞬のひとときを綴れることが私なりに見つけた幸せと言うものなのである。

とここまで打って、近くのビッグスーパーまで周さんの運転で家族で食料品の買い出しにゆくのに付き合う。岡山とはすべての規模が違うので、地方在住が長い老人としては、やはり時おり上京して、ほんの荷物持ちとしてであれ役に立つのが嬉しいのである。武蔵野の面影が残るこのエリアは、みどりが多く街路樹も大木が多く、ちょっとの気分転換お買い物がてらのドライブが楽しめた。(まもなく次女家族がくるので、一旦中断する)

上記は昨日打ち、ここからは稲城の長女のマンションで打っている。昨日あれから、24日に3歳になる葉くんのお誕生日パーティを、ちょっと早いが私がやって来たのに合わせてやった。長女家族4人(お昼前に長女と5月で1歳になったばかりの未彩がバスでやって来て、遅れて空手の稽古を済ませた小学校一年生の望晃とお父さんのレイさんが自転車でやって来た)も次女のところに来て全員勢揃い、葉くんの生誕を祝った。

次女夫婦が手巻き寿司をよういしてくれ、おちびさんたちに絶えず目を(特に未彩に)やりながら愉しい時間が過ごせたことの家族団欒のつかの間のひとときを、きちんと記しておきたい。何度も打っているかもしれないがお許しあれ、あのコロナ渦中の3年前、葉くんと未彩は存在していなかった。今目の前ではしゃぎ回っている二人は、老人の私には夢のような存在なのである。そのランチお誕生お祝いの会を3世代でつつましくも行えたこと。参加できたこと。記しておきたい。

午後4時お開き、私は長女の住む稲城に移動。私とレイさんと未彩はバスで、娘と望晃は今度は自転車で。5時半稲城のマンションに着くと、自転車の方が先についていた。毎回長女のところと次女のところに2日ずつステイするのが恒例になっているのだ。夕飯の前小学生になったノアの漢字ドリルを少し見てやる。学校にゆくのも愉しいらしく私の目にはすくすく育っている。

午後7時、長女が美味しいハンバーグの夕飯を用意してくれた。午後8時過ぎ私はノアくんの2段ベッドのしたに布団を敷いてもらい二人で本を読みあい9時近くあっという間に眠りに落ちた。

2024-07-13

上京、三鷹の次女家族のところに泊まり、久しぶり孫の葉くんと遊ぶ、そして想う。

久しぶりの五十鈴川だよりです。昨日上京し三鷹に住む次女のマンションのリビングで朝食後、寸暇打っています。朝五時過ぎに起き、ほぼ同じ時間に起きた、(両親は休んでいた)24日で3才にな葉君と朝食前まで、5月岡山で遊んで以来共に遊び、久方ぶりに孫との時間を堪能しています。
父と遊ぶ葉ちゃん


東京にいる、長女次女の二家族を訪ねる小さな旅は、これから孫たちが小学校に入るまでの時間ははなはだ貴重なので、私が元気な間は、なにがしかのお役に立てればとのおもいが、私を上京に駆り立てるのである。

毎回想う、これ以上五十鈴川だよりを打つと、爺バカのそしりを免れないのは承知しているが、ひとつの爺バカ記録として、わずかであれ打っておきたいのである。もうすぐ2才を終え3才を迎えるが、この黄金日々変化時間を共に過ごせるのは(たまにだから素晴らしいのだ)お爺にしてもらえたものだけが味わえる、幸福時間なのである。

そのようなわが個人的悦楽孫との時間を、つらつら長く綴り打つのは控えるが、今朝は数字をキィボードで100まで打つ訓練を、おもいがけなくすることになったのだが、楽しかった。なにょり孫の葉君が楽しそうにキィを打つので、いうまでもないことだが私も楽しいのである。共に楽しいというのが、孫と遊ぶ一番の秘訣である。義務で本を読んでもダメである。その事を孫に教えられる。

これはすべての関係性に通ずることであると、あらためて知らされる。利害関係なくともに楽しい時間を過ごせる関係性をいかに築いてゆくのかというのは、大袈裟ではなく生きて行くうえでの永遠のテーマでもある。葉君との時間は、溜まりにたまった私の精神のアカを落とすには最高のお相手なのである。

わが孫たちは私の老いゆく時間を、照らしてあまりある存在である。思いつく口から飛び出す様々な今の音、言葉を繰り返し発語する。その邪心のない存在の言葉は、まさにかけがえがない大人にはだせない類いの聖域の音である。十分すぎるほどの老人の今の私に元気を注ぎ込む。

つかの間五十鈴川だよりを打つそばで、ひっきりなしに、娘と父に葉ちゃんは語りかける。聞き分けがいい。だから安心して打てる。親子、爺と孫、友人、知人、気持ちのいい関係性をキープしてゆく秘訣には何が必要なのであるか。きっと無私で相手と接するなかからしか生まれ得ない、そのようなことを葉君は私に示してくれる。

今日はこれから父は所用がある。私と葉君と娘は動物園にお出掛けである。さて、どのような一日になるのか、例え大きくなり葉ちゃんの記憶に残ってはいなくても、こうやって一行でも打っておけば、私がこの世から消えても大きくなった葉ちゃんが読んでくれるかもしれない、のだから。(葉ちゃんは今目の前でお片付けをしてる。ひっきりなしに娘に語りかけながら)

2024-07-01

今朝の4時5分からのラジオ深夜便、明日への言葉に松岡和子先生が出演されていました、そして想う。

雨なので労働は雨が小降りになってからにしようと思っている。この年齢なので本降りが続くようであれば行かないかもしれないが、倉庫の整理他雨のときにしかやれないこともあるので、五十鈴川だよりをうち終えたら出掛けたい。
ところで今朝は五十鈴川だよりを打つ気は全くなかったのだが、打つことにしたのは、私のお気に入りのラジオ深夜便、朝4時からの明日への言葉にシェイクスピアの全訳を日本で初めて女性で成し遂げた松岡和子先生が出ていらして、たまたまそれを聴いたからである。私は平均すると午前4時前には、カーテンを締め切った部屋で目覚め、暗い中ラジオのスイッチを入れおおよその時間を知ることにしている。だから深夜便を聴くときもあれば目覚めたときには、明日への言葉が終わっていることもあるのだ。 普段よほどのことがない限り、私は夜10時前には床につくことにしているので、午前4時前には目が覚めるの、明日への言葉には耳を傾けるようにしているのだ。わけても私より年上で私が知らない世界を生きられた方々のお話には勤めて耳を傾けるようにしている。そのお陰もあってこの数年の一日の過ごし方がよい感じで送れているのだ。そのいちいちを五十鈴川だよりには打ってはいないのだが、よいお話を耳にすると、その方のかかれた本を読みたくなったり、音楽を聴きたくなったりと、つまり今を生きる私の生活が刺激を受けるのである。 明日への言葉にお出になるかたの多くは私より年長者の方が多いので、なおさら私はこの番組を楽しみにしているのである。朝一番の言葉の贈り物、一日が始まる最初のビタミン剤なのである。ましてや今朝、松岡和子先生出演するとは知らなかったので、一気に耳がそばだって聞き入ったというわけである。40分近く、生い立ちから始まり、シェイクスピアとの出会いから、個人全訳の偉業まで、逃げても、逃げてもシェイクスピアというご本に書かれている内容のおおよそを、松岡先生が語るのを夜明け前の暗い部屋で聞いていたのだが、一気に目が覚め五十鈴川だよりが打ちたくなったのである。 マイスター音読が一区切りしこれからどのような形、どのようなチームでの再出発になるのかの思案を梅雨の真っ只中に始めようとしていた矢先での、松岡和子先生の明日への言葉。これを何かの啓示、私が勝手によいお導きと考えてしまうのも無理からぬことである。だって全く知らなかったのだから。 そもそももう2年半前になるが、上京し、たたま下北沢の本多劇場で加藤健一さんの一人芝居を観た際、おおよそ30年ぶり下北沢の本多劇場で、まさに劇的に偶然一方的に再会し(シェイクスピアシアターに在籍していたときよくお姿を拝見していたのだ)臆面もなく話しかけたことがあり、そのことがきっかけとなって、私の消えかけていた、シェイクスピアリーディング音読に火がついたのだから。 その時の出会いの経緯は、五十鈴川だよりに打っている。この松岡和子先生との出会いがなかったら、松岡和子先生での翻訳による新たなリーディング音読で、シェイクスピアをもう一度学び直すという勇気、発想は生まれなかっただろう。先生が全訳を終えられたのは80才近くであられた。先生は私より10才年上でいらっしゃる。シェイクスピアの原文をまずは直訳し、その後現代劇として通用する日本語に移しかえる作業に、まさに職人的に誠実に、まさにハムレットのように、この翻訳でいいのか、いけないのかと、命と格闘しながら推敲に推敲を重ねる。推敲をやめない。そこが先生が他の翻訳者とはことなる。 一言で言えば、演劇人として翻訳を続けている、のだ。翻訳して終わりではないのである。言葉は移ろう、人間も移ろう、だが本質的な問題、謎はそう簡単には変わらない。そういう人間という不確かな器のまるごと全体、争う、嫉妬、恋、おろかさ、間違う、繰り返す、貴賤、美醜、全階層、乞食から王様まで、多種多様な世界を変幻自在にカメレオンのように生きる人間という生き物を見つめ、言葉、台詞に込めた劇詩人がシェイクスピアなのであると、今更ながらに理解が落ちる。だからなのだとおもう。私がシェイクスピアのリーディングがやりたくなるのは。 松岡和子先生の人生そのものが、波瀾万丈である。関心を持たれたかたは、逃げても逃げてもシェイクスピアという御本を是非読んでもらいたいと切望する。男性の翻訳家では体験できない女性ならではの体験を、先生は数々生まれ落ちてから現在にいたるまでされている。そのことがきっと先生の翻訳の随所に込められている、豊かな日本語にしていると確信する。 とまれ、マイスターリーディングを終え、新たな気持ちでリーディングを再開しようと思っていた矢先、先生のお声が暗い部屋に聴こえてきたときの喜びは、雨が上がり分厚い雲間から光が差してきたかのようだった。