2022-05-30
姫路文学館でおこなわれている山風太郎展に昨日いってきました。そして想う。
昨日在来線で姫路の、姫路文学館で6月5日までやっている山田風太郎展にいってきた。久しぶりの電車での遠出9時前の赤穂線で相生経由で姫路に着き、駅からあの美しい姫路城のそばにある文学館にはバスで、着いたのは11時前だった。
初めて行ったのだがモダンなこじんまりとした文学館で、静かな住宅地のなかにあり、訪れている人もそんなにおらず静かにゆっくりと2時間近くたったまま展示物に見入りつつ、生い立ちから始まる一生を眼で追った。ちょっと疲れたが、いってよかった。実は全く私は山田風太郎の作品を読んだことがない、というかどちらかというとあまり小説が好きではなく、どちらかと言えばノンフィクションや評伝、自伝の類いをおもに読むことが好きであり、それも極端に好みが偏向していることを自覚している。
何故読んだこともないのに行く気になったのかは、図書館で克明に書かれた大分な著書、戦中派不戦日記を目にしていたからである。この展示会のことはたまたま新聞で知り、タイミングがよく姫路であれば日帰りで行けるので、いったのである。
結果は、いってよかったと心から思っている。また一人すごいとうなららせられてしまう小説家の存在を知った。一人の屹立する作家が出現するのには、生まれ落ちた時代と環境と出会いが、大きく左右するのだと言うことが、私のような無学な凡人にも府に落ちた展示会だった。
戦後ののんべんだらりとした世界しか知らない私には、なんとも形容できないほどに多岐にわたる膨大な作品を世に送り続けた一人の小説家のあまりにものすごさに、正直圧倒されてしまった。
そして改めて自分の無知蒙昧さを、深く知るはめにまたもやなったというわけである。それにしても一人の作家の想像力の破天荒さは比類がない。読んでもいないのに驚かされる。たぶんもう私には作品の多くを読む時間はないだろうが、戦中は不戦日記だけは折々読み続けたいとおもう。唯一無二、異端児、作品を産み出すことだけに人生を費やし、たった一人で想像力を駆使して人の世の摩訶不思議を作品かし続けて、生ききった山田風太郎の展覧会に行けて、ただよかった。その事を五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
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