4日夕刻、ふるさと門川の兄の家に着き、8日夕刻西大寺に無事に戻ってきました。3日夜に車でたって途中仮眠をとりながら、行きも帰りも島根を通り、山陽道を避けて交通量の少ない、そして景色のいい道を走った。
70代トリオで故郷の山を |
車でのふるさと旅を妻が特に心配するので、古希を記念しこれが運転で帰る最後の旅になるかもしれないと思いながら。結果的には無事にふるさと旅を終えて、このように五十鈴川だよりを打てることが嬉しい。
さて、片道600キロを往復運転すると優に一日はつぶれるので、ふるさと滞在はまる3日間だったが、実に有意義な4泊5日の旅となった。さて、今回の旅で一番打っておきたい出来事がある。念願が叶い、兄の家からルーツである宇納間までおおよそ35キロ、五十鈴川の源流を遡行し、歩いた、歩くことができたことである。
5月7日、朝5時半に兄の家を出て、途中4回ほど朝食休憩等をとりながら、ひたすらのんびりと歩き、午後2時半宇納間地蔵尊にたどり着いた。9時間で成した個人的な我が快挙、あまり野暮なことは打ちたくはないのだが、チャリティ演奏会を無事に終えることができたことも含め、願いを込め歩を進めた。
山笑うという新緑のふるさとの山々を愛でながら、五十鈴川のせせらぎに耳を澄ましながら、過疎地の家々の庭先に咲き乱れる、アヤメやツツジ他のはなばなに癒されながら、ただただ歩いた。お正月明けからウォーキングを積んで来たからだろう、ほぼ予定通りの時間で完歩することができた。
この古希を記念(祈念)してのちょっと長い行脚は、おそらくこれから歩ける間は歩くという極めて単純ではあるが、老い路を照らす墓標のような無意味極まる営為になる事を確信した。その第一回目として五十鈴川だよりを遡って、ご先祖のルーツである宇納間まで歩くことができたことは、なんとしても五十鈴川だよりに打っておかなければ。感謝しかない。
心地よい達成感に包まれながら、人気のない宇納間地蔵尊で待っていると、兄が迎えに来てくれ、よく歩いたと労ってくれた。兄夫婦には歩くことを伝えていたが、姉夫婦には黙っていた。夜、宇納間まで歩いたことを伝えると、驚きあきれながら岡山へのお土産にと、ちらし寿司を作ってくれ、まるで亡き母の代わりのように細々とあれやこれやの生活に必要な食品を持たせてくれた。
五十鈴川だよりを打っているこの間も、ウクライナでのおぞましき蛮行は続いている。ウクライナだけではない、世界各地の民衆の尽きることのない苦しみ、痛み、悲しみ、慟哭の声はかすかにかすかに、私の老いた体に届く。耳を澄ませ、何かを思考しながら、このままでいいのかいけないのか、行脚したい。
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