チャリティ演奏会を終えて一週間、ようやく普段の日常生活に戻りつつある。が、以前としてウクライナでの戦争は続いている。その事が全世界に与えている影響は、他分野にわたっている。そのようなことを心の片隅にとめおきながら、暫し私は私の個人的に大事な生活や暮らしを持続するしかない。
この世の不条理のやるせなさは、時に目をおおいたくなるが、ヒトは置かれたところで、必死に生きるしかないという無慈悲な摂理を生きている。私もしかりである。だが、五十鈴川だよりを打てる間は、きれいごとではなくあくまで個人的に一息つき休みながら思考し、次なる企画を打つための準備をしたい。
妻が活けた一輪のバラ |
カテリーナさんは、変わらず過酷なスケジュールをこなしながら、ギリギリのところでウクライナの民族が産み出した音楽の素晴らしさを伝えている。カテリーナさんを企画したものとして、どこかで私もギリギリのところで生きて、いろんな窮状を生きざるを得ない方々のことを忘れず、なにか一人の人間として、ささやかに企画を続けたいという念いである。
さて、昨日なんとかトマトの苗を7本植えた。雑草をとり小さな耕運機で耕してから。今日雨の予報だったのでなんとか植えたかったのである。私のバイト先の倉庫には机と電気スタンドがあり、お茶が飲めるし本も読めるので、私にとってはささやかな隠れ家として重宝している。。
家の書斎とはまた異なる雰囲気、作業小屋なので草刈り機他、いろんな工具や道具が老いてある。もうこの小屋で過ごすのも、66才の夏の終わりからこのバイトを始めたので、まもなく丸4年になる。生まれてから小学校6年生くらいまで、ほとんどアウトドアで遊んでいたからだろうとおもうのだが、いまだにというか、風通しのいい野外での体動かし老いバイトが私は好きである。
この年齢で、心から自分に適したアルバイトができるなんて思いもしなかったが、体を動かしながら、血のめぐりを良くしながら仕事をし、嫌でも歩くしたったり座ったりの動き、爪先から足の先まで使うので、トレーニングがてら働ける、私にとっては理想的なバイト先なのである。しかも、働く時間は決まっているが、雨だと休み、自分の責任と判断で時間調節ができるので、全くありがたいという他はないバイト先なのである。
これもまた、草刈り他を中世夢が原で22年間やったお陰だからこそ叶った老いバイトなのである。限りなく私は天を眺め、変化する雲の流れを眺め、とりの群れに目をやり、時にキジに出会い、うつろいゆき咲き乱れる春の花ばなを愛でる。今現在の私にとって最高のバイト先なのである。なんのストレスもなく無心に働け、私よりも年上の気持ちのいい先輩方から、私の知らないいろんなことを教わりながら気持ちよく働ける。
古希にして得た、天ノ下の運動場なのである。人生の下り坂をトレーニングしながら、休日は菜園作業のあとお茶をのみ、新聞や本を読んで過ごす。GWを静かにすごせる、またとない隠れ家である。
0 件のコメント:
コメントを投稿