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2019-08-29

次女の結婚式に出掛ける前日の日の、午前中五十鈴川だより。

完全オフ、明日から次女の結婚式のための北海道へ行くためのパッキングを終え、ゆったりとした面持ちで、五十鈴川だより時間がきた。雨は落ちていない、それにしても九州北部の雨の被害には言葉がない。

どういう意味なのかは、つまびらかには知らないが、知らぬが仏という言葉がある。本当に見なければよかったとか、知らなければよかったとか、聞きたくはなかったというようなことが、以前にもまして増え続けているような気がするのは、私だけであろうか。

悲しいかな、2人称的当事者の痛みや苦しみは、身内のものでない限り、わからない、感知しえない。沈黙するのみである。もし自分がそのような目に遭ったら、と想像するだけで、この穏やかなこともなき、静かな時間が当たり前ではなく、ことさら有難き時間に想える。

ささやかにわが娘が式を挙げる、この現代をおおうもやもやとした、時代状況閉塞感には、出口の見えない暗雲をどこかに感じながらも、でも事我が家にとってはうれしきめでたい出来事である。

レットイットビー、ケセラセラ、生るようになる、あれやこれや憂いても、ヒトはやはり戦のさなかでも物を食べ、結婚式をどんな状況でも挙げ、どんなにささやかであれ寿いできたのであるから、次女の門出を見届け心から祝福したい。


上手下手ではなく、書くことが愉しい
ところで話は変わる。私はこの6年以上毎月一回、亡き父の残した硯をすり筆で文字をわずかであれ書いている。

還暦を過ぎて始めた我流での書の時間が、最近以前にもまして好きになりつつある。インターネットをはじめとする、電脳ITライフからはますます見放されたかのような、(する気もないしデジタル生活は最低でいい)わが暮らしの中で、静かに墨をすり、筆で文字を書き連ねるいっときは、初老男にとって、今や貴重な精神生活時間である。

シェイクスピア作品の長いセリフを、写経ならぬ、筆写しているのであるが、いよいよ声が出せなくなったり、弓が引けなくなったり、小さな旅ができなくなったら、筆を持てる間は筆写を続けたいと、最近思う。最後は、土と戯れ、書と戯れ、歌を読み、そして酒を飲み、よれよれであれ、よれよれだからこそ花鳥風月時間をと、夢見る。きっと夢見るようには、結果が訪れなくても、それはそれで甘受する。

先のことを案じることは、愚かなことであるとの側に私は立つ。要は今をこそ日々いかに生きるかということが大事である。先のことが分かっている人生は、私にはつまらなく思える。

2019-08-28

遊声塾、8月最後のレッスンの朝に想う。

今週はずっと雨マークである。今月は昨日でアルバイトは終わったので、心おきなく雨音を聴きながら、五十鈴川だよりが書ける。昨日も雨だったのだが、降ったりやんだりの中、午前中体を動かすことができた。

人の紹介で始めた、この午前中体動かしアルバイト、早くも一年が過ぎた。このアルバイトのおかげで、心身が安定して過ごせる現在の暮らしを、ことのほかありがたく享受している。

まさに老いてゆくということは、限りなく時の速さを感じるものである。だからなのだと思う、今の暮らしの中で、まるで自分を慰撫するかのように五十鈴川だよりを書き続けるのは。

やがて肉体という器は、命を閉じる。そのことの、老いの行く先を、どこかにかすかに自覚しながら、この年齢で体が動くことへの、日々の感謝を、天空の下で雲の流れを、木の葉の揺れ、小鳥を眺め、雨や風を感じながら想う。

野外、自然の中地面の上で、天空の下で働くのが私は一番好きである。31歳から34歳までの富良野でのまるで修行のような生活、40歳から22年間働いた中世夢が原での時間が、まったく私の物の見方や、世界観を変えてしまったのである。

ジュリアス・シーザー5年ぶりに読んでいる、新鮮である。
体を動かす喜び、苦手だと思い込んでいたことがひっくり返り、今では汗をかける身体が、動く身体をどこかでいつくしんでいる私である。私にとって野外で働くことはいろんな意味でトレーニングなのである。体を動かし、先人たちとの対話を重ねる。

61歳で遊声塾を始めた時、無謀、(いまもどこかでは思っている)であるかもしれないと思いつつも、どこかさび付いた身体を、今一度緩やかに見直し鍛えないと、シェイクスピア作品のあの魅力的な登場人物の聲は絶対に出ないし、最低の声量をキープするためには、トレーニングが不可欠なのである。

天空の下で、虚空にむかっての、地の果てに向かっての声を放つ感覚が、必要なのであると最近とみに感じ始めている。机の上での、小さなぶつぶつ声出し、対極的な外での声出し、この2極を振り子のように行ったり来たりしながら声を出すことの重さをおもう。

そして、声を出せばその日の体調のあんばいが何とはなしに、わかるようになってきたのである。ヒトは心身が健康でないと、なかなかに生きた声は出ない。シェイクスピアの登場人物の台詞を声に出すことで私の現在値をはかっているのだ。

無謀を承知で始めた遊声塾、あっという間に7年目も半ば、今夜は8月最後のレッスン。シェイクスピア作品は、老いゆく私をいまだ鍛える。ままよ、ならば先のことは考えず、今を生きる声を、と体にしがみつく私である。


2019-08-27

偏ったメディアニュース編集映像にうんざりする、夏の終わり次女が結婚式を挙げる、そして想う。

五十鈴川だよりでは触れていないが、日韓のあまりにも不毛感に襲われる両国の正当化報道、G7サミットのあまりの実りのなさ、香港で鎮静化の兆しのない、中国政府と香港市民の出口の見えないデモ等々、そのなかで近づいてくる、ラグビーワールドカップ、来年のオリンピック報道が過熱気味に刷り込まれるかのように繰り返し報道される。うまくは言えないのだが、なにか嫌な感じがしてならない、(メディア操作)。

切りなく垂れ流される、世界の重要なニュースなどはそっちのけの、国内の繰り返し視聴率偏重の、私にとってはどうでもいい引きも切らない暗澹とする出来事の連鎖、できちゃった婚などが、公共のNHKニュースで報じられる。その間に肝心な大事な出来事は闇に葬られてしまう、そんな気がする。伝えられない不都合な真実をこそ果敢にニュースにする、気骨のある報道陣はいずこへ。心ある人たちはUチューブなどできちんと情報を得ているだろうが、いまだ大NHKニュースしか見ないような高齢者、ほかがわんさかいるのであるから危ないのである。懐疑的に見る、自分もまた疑う。

ブラジルの熱帯雨林の恐るべき火災などをこそきちんと伝えてほしいのであるが、どうも肝心なことがおざなりになり、知りたくもないようなことを、貴重な時間帯に大電波を使って報じるセンスには、堕落という言葉しかにわかには思いつかないような体たらく感を私などは感じている。一面的に編集されたメディア報道の一切を、真に受けてはいない私である。そそくさとテレビを切り、気分転換、ささやかに沈思黙考深呼吸をしないと、何か危ない、時代の足音が近づいてくる予感に、耳を立てなくては、と個人的に思う。

書き出したらきりなく、お恥ずかしき一文を綴らなければならない蟻地獄にはまるので、、話題をかえたい。今週末、次女が北海道で内輪だけの結婚式を挙げる。したがって金曜日に出発、日曜日には戻ってくる。

テレビでは報道を目にしていない、痛ましい。
母は86歳で初めて飛行機に乗り式に参加する。極めて個人的な五十鈴川だより、父親にしてもらった娘が伴侶と共に人生の第一歩を踏み出す。長女の結婚式はドレスデンで向こう風の式、今回は花嫁の父ということで、娘の手を取って歩かなければならない。その場になってみないと分からない、上手く言えないがちょっと緊張するのではないかという気がしている。

五十鈴川だよりで何回か書いているのだが、自分が家庭を持ち子供に恵まれ、二人とも良き伴侶と巡り合い、結果、父親としての役割をこのような形で果たせることに関して、正直どこかいまだに、ぴんと来ないような、私にしかわからないある種の感慨に襲われるのである。

そのような感慨はともあれ、妻は男親の私と違って、こころからうれしそうである。母もまたしかり。男と女はやはり決定的に違うと感じてしまうのは私だけか、喜ぶ妻と母をしり目に、でもやはり心の底でよく無事に育ってくれた嬉しさが、父親としての最低のことはやれた安ど感に浸るのである。

時は流れ永遠に移ろう、幾山河をこの世に生れ落ちたものは必死で生き、子孫に何かを伝えねばならない。

2019-08-25

喜之助人形フェスティバルに出掛け、こころが揺れ感動しました。

昨日家から車で15分のところにある瀬戸内市で昨日今日と開かれている、喜之助人形フェスティバルに出掛け、2本人形劇を観た。驚いた。そのことをわずかでも五十鈴川だよりに身体が新鮮なうちに書いておきたい。

今は瀬戸内市だが、昔の邑久町で、毎年31年間にわたって、開かれている喜之助人形フェスティバル、お恥ずかしいがゆくのは今回が初めて、働いていたころは土日が勤務だったので、ゆくことは叶わず、リタイア後も機会を逸していたが、甲子園の高校野球観戦と同じように何故か見ておこうと、わが内なるものの怪が騒いだのである。

プロアマ問わず、瀬戸内市文化センターの建物の中のいろんな空間で、多彩な演目が目白押し、とても全部見ている時間がないので、焦点を絞ってロビーで、かわせみ座の台詞のないポエムでファンタジーな人形劇と、ホールで江戸糸操り人形の2本を観た。それぞれ素晴らしかったが、江戸糸あやつり人形【瞼の母】が素晴らしかった。

江戸糸操り人形なるものをもちろん私は初めてみた。まず獅子舞とかっぽれを単独の芸で披露された(まずこの芸に私は打たれた)のちの2部は長谷川伸原作の瞼の母、何と人間のお芝居と江戸糸操り人形のコラボレーションにまずびっくりしてしまった。

時間の都合で、ダイジェスト版での上演ではあったが、客席数は少なかったものの笑いの連続で、私を含めた観客は、軽妙な大衆軽演劇の役者二人と人形二人のなんとも形容できない共演の妙に、大笑いしながらも深く感動したのである。
若い時には見えなかったものがようやく見える、感じる。

考えてみると、私は大衆演劇なるものをお恥ずかしくも見たことがない、もちろん江戸糸操り人形も見るのが初めて、何事も、昨日も書いたが生に勝るものなしである、とつくづくあらためて一期一会の重みを実感したのである。

人形を魂込めて操る、人間の黒子の動きに感動し、その上役者との共演では人形を操りながら、台詞も語るのだから脱帽する。また、大衆軽演劇の役者も素晴らしく、阿吽の呼吸の掛け合いに、魂を持って行かれたのである。一座の操る方が作られた人形も独創的で刀で伐られると胴体が別れたり、素晴らしかった、表情も。

見終えて来てよかったと何度も心の中でつぶやいた私である。今日も午前中観にゆく。私は思う、こころが何かに揺れ動くうちは、揺れるがままに、おもむくままに、身体の中を風が吹き抜けるように気持ちのいいことに触れることの、つまりは生きていることの醍醐味にまたもや夏も終わり間近に出会ってしまったのである。

それも、家から15分のところで。チャンスを見つけて浅草の木馬亭にも、大衆軽演劇を観に行きたくなったことを記して、今朝はこれにて。

2019-08-24

夏の終わり、小さな旅に出かけました。

すっかり涼しい土曜日の朝である。ぐっすり寝た朝のなんという気持ちのよさ、老いるとよく眠れないというが、今のところまだ大丈夫である。とくに働いた日や、遊声塾のレッスンをした日は、ぐったりと疲れて、時にオーバーではなく倒れこむように床に就くことがあるくらいである。

睡眠の奇蹟というほかはない。眠っている間も臓器は死ぬまで休むことはなく、もちろん脳も休んではいないと、養老孟司先生の御本で知った。赤ちゃんの最初にできる臓器が心臓、つまり生まれどこかへ召されるまで、心臓は休むことなく、動き続けるのである。生命のあまりの精妙さに、そして物思う心の不思議さに、存在している(らしい)自分に驚くのである。

話は変わる。一昨日たまたまお休みだったので、私の楽しみの一つといってもいい小さな在来線の旅で神戸は元町に向かった。平日だったので始発で家を出て、八時半には着いた。(車中はいつものように移動読書、時折うつり変わる車窓の景色を眺めながらの涼しい読書時間は、夏の小さな至福時間である)
二人の俳優が素晴らしい、演技に撃たれた。

目的は元町に在る、シネ・リーブルという映画館で上映中の【ヴィムベンダース監督の世界の涯ての鼓動】を観るためである。待てばおかやまでもみることはできるのだが、私は見知らぬ街で、人知れず映画館に入るのが好きなのである。

ヴィムベンダース監督は、グローバル化された現代世界が、いやでも抱え込んでいる、解決が不可能であるかのように思える根源的なテーマに、敢然と挑んでいる稀な世界的な巨匠である。(と勝手に思っている)

第2次世界大戦の爪痕が残る、ノルマンディーの海の近くホテルで出会った男女が五日間の滞在の間に本質的な恋に落ちる。女性は海洋生物学者、男は英国の諜報員。二人は生きては戻れない可能性のあるミッションをお互いに抱え込んでいる。

女性は海底探査機で、いまだ人類が知らない深い海に、男は動乱のソマリアへと向かう。良き映画作家は、見ているものの想像力を痛く刺激する。何億年かかかって海から人類が生まれてきた。その人類はこれからいよいよどこに向かうのか、の重いテーマが、男女の愛を通して狂おしく描かれている作品。岡山のシネマクレールに来たらもう一度みたい。

これ以上作品の内容には触れない、関心のある方は是非見てほしい作品である。見終えて元町の小さなお店でおいしいチャンポン(世界の動乱とは別世界、平和にチャンポンがすすれることの何という有難さ。九州人の私はチャンポンが大好きである、さすが元町ちゃんとチャンポンのお店があった)と餃子を食べ、映画館とは別世界、阪神電車に乗り午後2時開始の甲子園の高校野球の決勝戦に向かった。

第101回・初出場と記されている

何故決勝戦を観にゆくことになったのか、できたのか、雨で試合が伸びたからである。前回母校富島高校のおかげで甲子園の高校野球の雰囲気というものを生で接することで、生で見ることの素晴らしさをこの年齢で初めて味わえたから。決勝戦を生で見るなんてことは、そうはあるものではない。見ておきたいとただ思ったのだ。

どちらを応援するでもない、ニュウートラルな立場で、ただ決勝戦の雰囲気を体感したかったのである。外野席のみが残っていたのですし詰めの外野席に何とか座ることができた。試合開始から終わるまでの時間、人波に揺れる満員スタンド、大観衆の形容しがたい熱気、声、が途切れることがない現場、テレビでは決して味わうことのない独特としか言いようのない、高校野球の青春の醍醐味を初老男の今、体感できたことの感謝をきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

大阪履正社と石川青陵高校の決勝戦を見終えて家路を急ぎ、帰り着いたのが夜8時、妻がいい試合だったねと、言葉をかけてくれた。私の夏休みは終わった。




2019-08-21

立て続けに養老孟司先生の御本を読んで想う夏の終わり。

夜中雷で目覚め、雨音を聴きながら再びうとうと、結果いつもより一時間近く早く起きた。外に新聞を取りにきゆくと雨はは上がっていた。

バイトに出掛けるにはまだ時間があるし、本を読んでもいいのだが出かける時間まで、わずかでもいいから、何か書きたくなった。虫の音をこの数日耳にした。日中はまだまだ暑いが、季節は確実に秋に向かっている。

厚い雲に覆われているせいでもあるが、日が昇るのが確実に遅くなっている。これから秋が来るのが本当に楽しみである。この夏も(油断してはいけないが)何とか乗り切ったのではないかという、安ど感に襲われる。

肉体労働を願う私としては、やはり夏を乗り切るのが、65歳を過ぎてからの課題だからである。私なりの一つの晩年の過ごし方の小さな目標として、見つけたのが一年でも長く、とにかく体を動かすということなのである。

いきなり話は変わるが、養老孟司先生の本を立て続けにこのところ読んでいるのだが、先日の五十鈴川だよりに写真をアップした、読みやすくわかりやすい【運のつき】という御本の中にかかれていたのだが、体を動かすということは、脳の半分を動かすということが書かれていたのである。

ほかにも随所に腑に落ちることが書かれていたのだが、興味を持たれた方は是非本を手にしてほしい。働くかなりの層が都市化した環境に暮らし、身体を置き去りにした便利な場と空間暮らしを、続けている現代人に対して、先生は限りなく憂慮をされているのだ。

先生の御本を繰り返し読むと、凡夫のわたしでもゆっくりと脳にしみわたる様に、コトバが届いてきて、自分の体が欲することを、これからの人生時間素直にやりたい私としては、大いなる啓発を受け、限りない勇気を先生の言葉から受けるのである。

私が事あるたびに先祖帰り、無意識的本能のなすがままに、故郷宇納間の地を目指す根拠が、単純明快に、先生の御本を読んでわかったのである。
愚直に生きることを楽しめるのか、楽しめないのかそこが問題だ

私を含めた現代人は、便利さの上に胡坐をかき、あげく自分自身の足で歩くことを忘れ、負のスパイラルの連鎖の中で、もがき苦しんで出口が見えなくなっているのではと、警鐘を鳴らしておられる。

時間がないので落ち着いて書けないのだが、先生の御本はこれからの人生時間をいかに生きるかにおいて、重要な事ばかりである。当たり前のことを愚直に繰り返す事の辛抱、努力、根気の大切さ、平凡を繰り返しきちんと生きることの非凡さが語れている。

かけがえのない、替えのないこの体をフルに使うことの、汗をかきながら考えることの大切さを、わかりやすく説いておられる。昔の人たちがいかに真っ当であったのかがよくわかる。だから私は今後ますますご先祖詣でを繰り返し、あの森の中で静かに息をしたいと願うのである。命のありかを確認するのである。

2019-08-18

今日は月に一度のシェイクスピア作品輪読音読会の日である、そして想う。

今朝はこの夏一番の涼しさ、ぐっすりと寝て気持ちよく起き、朝いちばん水を浴びてからコーヒーをいただいての五十鈴川だよりである。

さて今日は、間違いの喜劇、十二夜、ロミオとジュリエット、ハムレットに続いての月に一度の輪読音読会の日である。3月から始めた音読会、ハムレットだけは2回に分けて読んだので今日5作品目は【お気に召すまま】である。

基本的には一回で一つの作品を完読したいのだが、そうもいかない長い作品もあるので、臨機応変に、音読したいと思っている。前回までは毎月チラシを作っていたが、5、6名の連続しての参加者がいるので、もうことさらにチラシを作ることはしないことにした。

基本的に、毎回5,6名の参加者がいれば私としては十分なのである。私にとって週一回の遊声塾は最も大切なレッスン時間である。きちんと月謝をはらってくださる塾生の方々に対して、非力をどこか自覚しながら、精いっぱいのレッスンをこの6年間続けているのに対して、音読輪読会は基本的にレッスンはしない。

ただただ、月に一度音読輪読するだけである。いい意味で気楽にやれる。その両極を可能な限り、元気に聲が出せる間は続ける、これが今のところの最も大切な、オーバーではなく生きがい(この言葉最近あまり好きではない)的な心身のバランスをとる健康法になっている。
400年前の魅力的な登場人物たちと現代を生きる私とが交信する

臆面もなく書こう、遊声塾を立ち上げて何度か弱気になったこともあったが、乗り越えた後には、思わぬ出会いがあったり、苦しんだからこそ得られる喜びがあったりして、右往左往しながらの現在である。

だから、身体が欲する無意識的な衝動に動かされる間は、持続したいと思うだけで、ことさらに全作品を読むのであるといった気負いのようなものは一切ない。だからそういう意味では、いつまでできるのかは、当の本人にも全くわからない。(たぶん突然終わる)

再三書いているように、人間はできたことがやがてできなくなってゆく、生を閉じる器である。だからこそ尊い生をしっかりと生きようと切に願う、か弱い私なのである。

たまさかの現生(世)、シェイクスピア作品を声に出して子供に還って遊ぶのである。そういう人生時間が還暦を過ぎて訪れたのである。遊びをせんとや生まれけん、のまさに心境なのである。意味などはかけらも求めてはいない、ただただ可能なら無心に自在に遊ぶことがささやかな願いなのである。

というわけで、昨日は久しぶりにお気に召すままを、小さな声で完読した。

2019-08-17

病気は治すものではなく、治めるものとの五木寛之さんの言葉に、蒙が開かれる。

台風が去りお盆が終わり、ほんの少しだけ今朝は涼しく感じているが、日中は今日も暑くなりそうである。これから年々温暖化が加速すればどうなるのかと、かそけく案ずるのであるが、そう不安を募らせても、だから初老男はささやかに対策を講ずるのである。

ぎりぎりのところで知恵を絞る。そうやって生き延びて運を引き寄せ、生き延びている私である。世の中に出てふわふわと生きていたので、将来の不安をどこか心の底に抱きながらも、巡り合わせた時代の勢いに助けられ、何とか現在の幸運を生きている。

先日も書いたが、貧乏性の私はささやかな幸運が続くと、何かよからぬことがこの先起こるのではと、ちょっぴり不安を覚えるのだが、これまでもそうしてきたように、その時はその時である。

そういう意味で前回書いた、弱きものの生き方という対談集は、これから先を生きる上で、実に初老男に勇気と希望をもたらす御本であった。やはりひとかどのことをなした方々は、人知れず営為努力を積み重ねているのである。普段の小事の心がけ。

学ぶ努力、謙虚に学ぶことの大事が、終章のところで語られれている。五木寛之さんが、幼少のころより身体が弱く、よく扁桃腺を腫らして、いろんな病気にかかり、(まったく私と共通する)後年今でも歯医者以外はお医者に行かず、病気は治すものではなく、治めるもの、つまり普段から養生するものであると、語ってられたが、深く私などは同意し得心した。
部屋から望めた昨夜の月、月光浴で身体を洗う。

養生、つまり普段から自分自身の体と対話するかのように、どこかに痛みや熱、だるさなどが生じた場合、あれやこれやの養生を自分自身でほどこすとのこと。それであのご年齢で今もお元気に仕事を続けておられる、そのしなやかでおれそうでおれない、独自のオリジナルというしかない、健康哲学には敬服した。

大いに少しでも参考にして、学びたく思う。健康食品などのCMや、薬の乱用の世相、あるいは医者にかかる人の(頼る)あまりの多さに、うんざりしている小生としては、人の弱みに付け込むとまではいわないが、そういう商売がひきも切らず続く、世相にはできる限り関わりたくはない。

ハッキリ書こう。長生きではなく、今あたえられているこの一日を、いかに細胞がよろこべるかのように過ごすことができるかということこそが肝要、だが人間は弱い。だから、知恵を先人たちに習い絞るのである。

ぎりぎり絞れば貴重な一滴の知恵も湧いてくる。怠惰な自分との闘い、歳をとれば体は徐々に老い痛んでくる。だから用心、養生、(しながら逃げずたたかう)人生は過酷である。

2019-08-15

敗戦の日・大塚初重氏と五木寛之氏の稀な対談集【弱気ものの生き方】を読む。

敗戦記念日の今日、台風一過のニュースにまるで、かき消されるかのような(そのように感じるのは私だけであろうか)感じがしてしようがない。

先の大戦の記憶を肌で感じた世代がこうも少なくなると、戦後世代で浮かれた青春時代を送った私としては、いよいよこれからは、真剣に明治からの近代化、戦前戦中戦後の現代史を、庶民の視点から性根を入れて学ばねばとの思いにかられる。

今日は、とくに敗戦記念日だからというわけではないが、台風のおかげで朝から大塚初重さんという考古学の大家と、五木寛之さんの【弱きものの生き方】対談集を朝から読んで過ごしている(もう少しで読み終える)

1926年生まれの大塚先生と、1932年生まれの五木さんお二人が、赤裸々というしかない、これまでは発言を控えてこられた事実を、告白されておられる。

今から12年前に上梓された御本、当時大塚先生が81歳、五木さんが75歳の時の対談。お二人とも青少年時代の敗戦の時にに受けた、あまりにも生々しい事実を、まさに相手を得て、勇気をもって語り合っておられる。

内容については、あえて言及しない。必読の価値がある対談集であるとだけ触れておくにとどめる。人間とはまさに善悪を往還する(せざるを負えない)弱きものであるとの認識にいたる語り部お二人である。

波乱万丈というしかない、正直なお二人の対談は、たまたまであるが敗戦の日に読むにふさわしい書物となった。こうまでも人間を鬼畜化する戦争のおぞましさ、むごさ、残酷さ、不条理、その中で一瞬垣間見れる人間性の美しさ等々の、まさに体験した出来事が、真実の情景をもって語られる。

毎日新聞社から出版されています。
悲惨という簡単な言葉では語れないほどの、人間という生き物の不確かさがいややが上にも浮かび上がる対談、高齢のお二人が意気投合し縦横にあの敗戦を生き延びた過酷な体験の筆舌に尽くしがたい痛ましさ、苦しみを勇気をもって語っていらっしゃる。

もし自分がそのような目に遭ったら、どのようにふるまったであろうか、といやでも考えてしまう。いざという時にとった思わぬ自分自身の行動。受難、受苦を抱えてお二人は戦後を生き延びる、苦しみから逃げない、弱さを見つめたたかい続ける。そこがすごい。

悲しかな一見平和が長く続くと、人間は流され、忘れる、そしてまた元の木阿弥、繰り返す、その愚は繰り返してはならない。心が砂漠化、思考停止になるのか、昨今の(この数十年相も変わらず続く)このあまりの心の荒廃の雑多な出来事ニュースの、嫌になるほどの連鎖、でもお二人は希望を失わない。

このような対談本を私よりも若い方々には、ぜひ手に取ってもらいたい。多くの問題を抱えてはいるが、今がいかにありがたい時代であるのかということを私はひしひしと感じる。遺言ともとれるお二人の対談。

今も悩みつつお二人は前進する。高齢なにするものぞ、その内省的な歩みが目線が低く素晴らしい。人間は捨てたものではない。お二人のその後の敗戦からの豊かな努力の生き方でもって、後進に困難を生きる多様なヒントを示唆する。お二人の人柄がにじみ出る、稀な対談本である。

2019-08-13

猛暑を避けて、読書に避暑する私。

今週はお盆休みで遊声塾のレッスンはお休みである。この丸6年、お正月か、お盆以外はほとんどお休みしたことがないので、ああ、今週は塾生の顔を見ることはないのだな、との思いである。

でも、レッスンするばかりがレッスンではない。シーズンオフというものがあり、休息のない体は、やはり駄目である。よく休んだ新鮮な体でないと、新鮮な声は出ないように思う。

養老先生の御本を読んで、人間の細胞は日々入れ替わり、おおよそ7年で骨まで全部入れ替わるそうである。だから刻々と変化する、してゆくおのれという器を、あるがままに受け入れてゆけばいいのだ、とちょっぴり安心するのだ。

情況ほかに本能的に変化してゆくのが(正当化しているのではない)いわば当たり前なのである。ぶれない自分などというものはありえない。とくにこのような急激な時代の変化に対応してゆくのに、揺れない方がいささかおかしいのである。

でもこれまた、絶対矛盾なのだが、日本的な心情みたいなものに、あの人は芯がぶれなくてすごい、などといった評価が強く、以前は私もそういった考えに強くひかれたりもしたのだが、最近は年のせいだと思うが、オポチュニストでよかれ、と思っている。

他者にどういわれようと、柳の風と受けとめるにしくはないといった風情のわたしである。自分でも思いもかけない変化である。

遊声塾を6年続けているが、この6年間の自分の中での変化は、自分が一番感じている。逆に言えば、変化し続けているからこそ、シェイクスピア遊声塾は続いているのである。

ゆく川の流れは絶えずしてもとの水に在らずである。昨日の自分とは違うことを想う自分がいることを、熟慮の果てに良しとしようとの思いである。例え他者に変質したと思われても致し方なし、自分に忠実にゆこうとこの年齢になりようやく覚悟が固まってきた。(気がする)

死体と対話してきた先生の言葉は重い、そしてユーモアがある
さて、このところ猛暑を逃れるためでもあるのだが、時間を見つけてはわずか一時間であれ、図書館で本を読んでいる。この間も書いたが身体が心から読みたいと思わないと、表面的な字面を追っても無駄である。おなかが空いていないとご飯が美味しくないように、読みたいと思える本を集中して読めるというのは、やはり私には至福の時間である。

その集中時間帯は、何かが自分にまとわりついているかのような感覚になる。思わぬ世界を揺蕩って旅をしているかのような。こういう暑き夏をやり過ごすには涼しいところでの読書に限るというのが、今年の夏の私の過ごし方である。

2019-08-12

市民手作りの映画に初めて出演しました、そして想う。

映画の撮影は生徒の夏休みから始まっているが、昨日初めて私の出番のシーンの撮影が、邑久町のとある場所で行われた。私一人のシーンも含め3シーン、教頭先生役での相手との絡みを午前中、約一時間半で撮り終えることができた。私を含め男二人と女性ひとり、3人での撮影だったので、きわめてスムーズに撮影ができた。

機材がデジタルなので、今や映画は信じられないくらいの速さで撮影が進むのである。台本を手にしたのが7月はじめ、昨日が初めての本番撮影、映画での演技と舞台での演技はまるで、といってもいいほど異なる。

若き日、何回か映画やテレビに脇役で出演したことがあるだけ、40年近くカメラの前でセリフを言ったことがなく、ほとんど初体験のようなものであったが、この6年毎年遊声塾の発表会のおかげで、人様の前で声を出していた経験が大いに役に立った、気持ちよく集中して撮影に臨めた。

蒙が開かれる視点が次々に、夏バテできない。
可能な範囲でシナリオを読みこみ、台詞を体に刷り込み、あとは体をカメラの前にさらし、監督の指示した通りに動き、声を出すだけである。コトバにすればこれだけであるが、何事もやはり難しいのである。

でも何というのだろう、歳を食って面の皮が厚くなったせいなのだと思うが、若い時のようにはおたおたしなくなった。まな板の上の鯉とまではいかないが、胎が少しは座ってきたのである。

ともあれ、少人数でのシーンからスタート、台詞は多くはないのだが、あと4~5回重要なシーンの撮影があり、次の撮影は9月16日なので、折々香原教頭先生役に近づいてゆくために、微力を尽くしたいと思う。

いくばくかチームの雰囲気というか、監督の人柄も感じられたし、とにもかくにも一回目を終えたことで、次回の撮影がとても楽しみになってきた私である。遊声塾を始めなければ、おそらくこういう晩年時間は私の人生には訪れなかったであろうから、運の流れというしかない。

老いてゆく中で、体の中に新しい体験、真剣な時間がたまさかやってくる。うかうかしていられない緊張感にいかに耐えられるか、細い体を引きずりながら、夏バテしないように乗り切らねば。今日は完全オフ、お盆休みである。


2019-08-11

今年のお盆休みは読書中心に過ごす。

夜が明けてきた、明けない夜はないとのコトバを、五十鈴川だよりを書き始めてから、なんど思ったことだろう。囲炉裏通信から五十鈴川だよりに転じて8年目、書くことでささやかに、どれほど小生の日々が、つたなくも彩られてきたことだろう。(併せたら10年以上書いている)

自己暗示、自己激励、自己満足、自己実現、自己日記、、、。論より証拠、よたよたとではあるが、毎日とまではいかないものの、とにかく書き続けることの小事の志の積み重ねに、結果、無意識に鍛えられてきたのだということを、最近自覚する。
本当にいろんなことを教えられる、考えさせられる。

これはいいことなのか、悪いことなのかは判然としないが、書くという営為がさほど苦にならないというか、もっと書けば書くことが徐々に、声を出すことと同じように好きになりつつあるような気さえしている、自分というのは変化するのだ。

何度もかいているが、10代の終わりまで、読んだり書いたりすることは、まったく苦手だった。だが今、本のない暮らしは小生にとっては考えられない。老眼ではあるが、しっかりと本の文字が見え、読めることの幸堪の有難さを、老いつつ感謝しないではいられない。

読書するにも、集中力持続力感能力、つまりは気力体力が不可欠、文章をかみ砕いて食べる健康な胃袋が不可欠なのである。文字・コトバには民族の歴史意識、言霊が潜んでいると、最近とみに感じる。


夕闇迫る中の青空、甲子園球場を後にする際に撮った一枚

言葉や文字は、いたく想像力を刺激する。これがあるからこそ本が読めるのである。そして、人間に与えられているもっとも私にとって大事な事、それは感動する、突き動かされる器であるということである。

感動しなくても、何かにへーっと驚かされたり、感じ入ったり、ものごとを多面的に思考判断するには、コトバでもって自分を磨く以外にほかに方法がない、今のところの私には。

言葉は行動・感動の源、気づくのがいささか遅きに失した感も、正直あるものの、五十鈴川だよりが少しでも豊かさを増すように、良き日本語の先人たちの文章から学び続けたいと思う初老生活、お盆間近の盛夏である。


2019-08-10

2019年8月8日、富島高等学校甲子園初出場観戦記、五十鈴川だより。

五十鈴川への帰省往還、一昨日の富島高等学校の日帰り応援、アルバイト、塾等々の充実した忙しさが、この真夏の暑さの中続いたせいか、昨夜は倒れこむように寝て、一度目が覚めたが、再び眠り込み、起きる時間を気にせず先ほど起きた。今日は土曜日である。

さて、新鮮なうちに甲子園3塁側アルプス席での、富島高等学校甲子園初出場応援感想記を、ささやかに五十鈴川だよりに書いておこう。神戸の三宮でゆっくりと昼食を取り、そこから阪神電車で甲子園へ。着いたのが午後3時過ぎ、3塁側は前の試合の国学院久我山高校の応援団でぎっしりと埋まっていた。

試合が終わり、わずか20分くらいで速やかに応援席が入れ替わり、母校富島高等学校のブラスバンドをはじめとする、高校生の応援団、部の関係者、父兄他、縁者がやってきた。私もネットの近くまで席を移動、卒業して半世紀、ブルーの応援ユニフォームの後輩たちの姿に、初老男の胸が揺れた。

富島ブルーに埋め尽くされた応援席

この瞬間に立ち会えたこと、ここまで初老男を運んでこさせた、富島高等学校野球部後輩たちに胸の中で感謝した。試合前ブラスバンドが母校の校歌を演奏、応援団が歌った。半世紀ぶりに聴いたのだが、にわかにメロディが記憶の底から蘇ってきた。

まったくふらふら軟派時代の、自分の悩み多き富島高等学校時代の高校生活が、次々と思い出され、切なさに、これは夢ではないのかと、白昼夢を観ているような気分になったのだが、夢ではなかった。

それから、試合が終わるまで球児たちの勇躍する姿(敦賀北の選手も素晴らしかった)を、甲子園球場全体の臨場感の中で、私は堪能した。もちろんはじめて出会った隣の青年は、仕事で宮崎に行ったことがあって、宮崎の応援に来ましたと話しかけてきた。私の母校ですと答えると、それはうれしいでしょうと何かと親切にしてくれた。

ネットにへばりついて、小学生の男の子とお母さんが熱心に観戦していた。平日であり私のような一般人の応援人数は少なかったが、私も含めきっと何かゆかりの方々が、まるで疑似家族になったかのように熱心に応援していた。一球一球に一喜一憂し、スタンドに声が響き、ため息が漏れる。

攻撃の回ごとに、応援ブラスバンドは歌を唄いベンチに入れない一年生二年生の野球部の部員が、この暑さの中ジャンプして声をからす、青春というしかない。高校生のチアガール、卒業生だろう、若い女性の即席チアガールもいた。こうまで無心に熱くなれる、郷土へのおもいとは何なのであろうか。

回も終盤、7回ころ私より若い50代くらいの一人の男性が、応援にやってきた8回まで静かに観戦していたのだが、9回いきなり野球は9回からだと雄たけびを上げた、9回もツーアウト再び雄たけび、野球はツウ―アウトからだ、と。(男性は乃木坂48のTシャツを着ていた)
応援席にあいさつに来たナイン

男の方の雄たけびは、富島高等学校の応援に駆け付けたすべての胸の内を代弁していた。試合は終わった。ナインが応援団席にやってきた。男性は三度雄たけびを上げた、富島高等学校野球部ありがとうと胎の底から夏の空に向かって声を放った。感動した。私もまったく同じ気持ちだった。誰もがみんなすがすがしくナインに労いの言葉を送っていた。

青春の光と影、勝者と敗者とは?つながっていて分けられないのだ。この歳になると想うのだ、夢中になる、生れるということの何というかけがえのなさを。勝者にのみスポットが当たりがちだが、敗者あっての勝負事。ヒトはやがて勝者も敗者もない世界へと向かう。球児たちが初老男にいろんな想像する力を与えてくれた。すがすがしい思いで私は夕闇迫る甲子園を後にした。

とまれ、幻想的なまでに熱き思いに導かれて甲子園の大応援団と共にスタンドで観戦できた8月8日の喜びを、ささやかに五十鈴川だよりに書いておく。




2019-08-08

我が母校、県立富島高等学校が夏の甲子園に初めて出場、応援に出かける前の朝ブログ。

今日もまた熱くなりそうである。この数年個人的に過ぎないことだが、極めて健康で日々を送れているからこそ、臆面もなくこのようなことを平気で書けるのであるが、どういうものか、幸運な出来事が身の回りで次々と起こり、貧乏性の私は、あまりのも、といささか案じたりもするのだが、その時はその時である。

ささやかな良きこと続きの、その一つが私が高校二年生から卒業までを過ごした、宮崎県立富島高等学校が甲子園の夏の大会に、はじめて出場することになったからである。その県予選の試合の決定的な優勝の瞬間を、たまたま先日帰省していて兄と共にテレビで見ることができた。

春の大会には数年前、これまた初めて出場したのだが、夏の大会は繰り返すが初めて、これがいかに稀で大変な出来事であるのかは、地元の人間であるので実によくわかるのである。地元は号外が出た。
一瞬の歓喜を人は永遠に求める・その姿が敗者も含め尊い

何せ創部以来の出来事、私が卒業したのが1970年、あれからだっておおよそ半世紀、これを愛でたい快挙といわずして、何と言えよう。私は文科系で野球は小さいころの草野球以外まったくやったことがない。

が、長兄が入れ込んで野球をやっていたし、しごかれながら白球を追いかける姿などを、小さいころ眺めていた影響もあるかもしれないが、観ることは好きである。人生の時間上プロ野球ほかほとんど見なくなっていたが、今回だけはやはり別である。

小さな田舎町の、小さな無名の公立の母校が、いきなり全国放送でお茶の間に登場するのであるから、明るい話題が乏しい暮らしのニュースの中では岡山出身の全英オープンに初出場しいきなり優勝した、澁野日向子さんに匹敵するくらいの、私にとっては明るく嬉しい出来事なのである。

鳴かず飛ばずの小さな海べりの公立校が、いきなり青少年憧れの野球の聖地甲子園にすい星のように登場する。偶然の蛇足だが、ゴルファーの日向子さんと同じ町の名前の日向市に我が富島高等学校はある。

名前がいいのであると、地元民としてはすべてにかこつけて、喜びの種を見つけるのである。前置きが長くなった。めったにないこの快挙、このようなことがなかったら真夏永遠に甲子園球場に足を運ぶことはなかったであろう。

だから忙中閑あり、勇躍甲子園に行くことにした。末席でささやかに応援しようと思う。試合は夕方なので、ゆっくりと出かける。新聞報道にもある様に、スタンドでは熱中症で運ばれる人もあるということなので、暑さ対策を万全で行かないと大変なことになる。

地球温暖化、高温化の中で、この数年行われる真夏の甲子園夏大会、選手も応援する側も、オーバーではなく自分の体とも戦わねばならない。天の摂理、宇宙の摂理を、ギリギリのところで踏みとどまる人英知を人類社会が絞らないと、今後の大会が憂慮される。(不気味である)とまれ、今日私はミーハー老人に変身する。




2019-08-06

夏の雨上がり、初老男は瘋癲老人と化す。

午前中重い雲が垂れこめていた中、何とか仕事を続けていたが11時過ぎくらいからぽつりぽつりと雨が落ちてきた、このところの炎天下に悲鳴をあげそうになっていたわが体は、初老であることさえ忘れて、雨でずぶ濡れになりなりながら何とか仕事を終えることができた。

からからに乾ききってた芝もにも慈雨であり、農作物にとっては待ち望んだ恵みの雨になったに違いない。これを書いている今、雨は上がった。涼しいとまではいかないが、うだるような暑さの夕方ではない。だから、単細胞初老男にとっては実にうれしく、夕餉のまえの一時何か書きたくなるのである。

子供のころ夏の夕方、よく雨に打たれた記憶がある。驟雨、思いがけない雷の音と共に、やってくる夏の夕立、上がった後のなんとも言えない大地の熱を一気に冷ましての静寂。すべての人間がどこかほっとする。雨の力の何と偉大な事か。

 夏にしか見ることのかなわぬ、雲の形。 全てが懐かしく、この初老男は一気にいまだに、こころが、少年のあの日に還る自由を持ち合わせている、お気楽な初老男というほかはない。。

だからこのようなことを臆面もなくつづれる。だが書きながら、背中をはじめあちらこちらに、年相応に自然な当たり前の、若くはない痛みも抱えながらも、こころは少年に帰れるという、いわば絶対矛盾の有難さを生きるのである。

少年の心も、ジジイの心も、こころに変わりはないのである。ただ外見があまりにも様変わりの様相を呈しているだけである。
文句なしカッコイイ日本人の一人である、いちみりでもあやかりたい

歳を重ねてわかることがある、それはきっと老いないと分からない。だからもっと老いれば、もっと老いが実感としてわかってくるのであろう。【リア王を読んで本当に良かった】変なは話というなかれ、これこそがひょっとしたら、老いの醍醐味かもしれない(と思いたいのである)。

老い、これから経験するこれからの時間こそ、ひょっとするとわたしに残された、少年期とは異なる、第何番目かの黄金期なのかもしれないという淡い、初老男幻想奇譚に、今後折々五十鈴川だよりは、思わぬ変貌を遂げるやもしれぬ。

と、こんなことを書ける自由の素晴らしさを、たまさかの雨は私に妄想をあたえる。コトバをもてあそび、このような戯言を書いて遊んで間もなく、夜のとばりが下りてくる。

さあ、これからは【夏の夜の夢】の時間帯に入る。昼とは全く違う自分に変身する、そのことが人間に与えられた素晴らしさ、想像力の特権である。

グダグダと書いているが、五十鈴川は流れるように流れるのである。



2019-08-04

できる限りお金に頼らない夏の過ごし方で英気を養う。

昨日と同じ時間帯なのであるが、まだ蝉は鳴いていない。この一日の始まりの静かな時間帯が、なんとも言えない。仕事がない日の朝をこのように気持ちよく迎えられるのは、きっと平日午前中だけとはいえ、働いているからだろう。

人偏に動くと書いて、働く。テクノロジーが超速の進歩(退歩)を遂げないまでの人間は、とにかく車社会以前は、歩くことを基本に、掃除洗濯お料理ほか、生活上のあらゆることを、体を動かして対処していたのであるから、考えると途方もなく、我々の暮らしは、便利快適になったとはいえる、がこの水の惑星は息も絶え絶えだ。私には人間、便利になればなるほど、多忙になり息も絶え絶えにお金にすがって暮らしているように思える。

だが、幸福になったのかはまた別の話である、と体動かし派の私などは考えてしまう。近未来、AIが労働のあらゆる分野に介入し、人口未来都市は、予断を許さないほどに、想像を絶するほどに、多分変化を余儀なくされる。

だからといって、一初老男に何かができるわけではないのは承知であるが、たった一つ言えることは、これから先の時間は、自分の体が喜ぶことをできる限り求めることと、できる限りお金に頼らない、老い楽時間を生きることである。老後に2000万円必要?私に言わせれば喜劇であり、悲劇である。昔の生活者死者の方々に顔向けができない私である。
読み始めたばかり面白い

真理は細部に宿るとの言葉があるが、考えると18歳からお金に余裕のない暮らしの中で、生き続けているので(子育てを終え、ようやく今が一番余裕があるのかもしれない)その中でやりくりして生きてゆく、工夫・知恵・我慢の楽しさが、身についているのかもしれない。

お金に振り回される滑稽さを、この年齢になってまでしたくはない。お金は必要な時に大切に使うもので、あえて無駄に使ったりする必要などは、まったくないものである。私のようなへそ曲がりは、爪に火を点すかのように生活しながら、贅沢とは無縁なところで、5人の子供を育ててきた両親をみながら育ってきたので、今のわが暮らしは幼少年期と比較すると、とてつもなく贅沢である。少々の食べ物があればもうこれ以上何もいらない、健康であれば。

蝉が泣き始めた。今日大まかに午前中にやること、コトバの素読音読・弓の素引き・何人かの方に暑中お見舞いの葉書を書く、その後は風の当たるところで、本を読んで暑さをやり過ごし、英気を養うことに専心したい。

2019-08-03

こころがようやく普段の生活に戻ってきました。

猛暑が続いている。ふるさとから戻ってきて2日午前中働き、今日明日は仕事なし。涼しい午前中、あれやこれやがやれるのでうれしい。とはいってもすでに蝉の音が聞こえる。今日も暑くなりそうである。

でも梅雨明けから、何とか体調を維持しながらこの暑さをしのいでいるので、何とかこの調子で、この67歳の夏を乗り切りたいと考えている。

さて、あまりに暑いので昨日アルバイトを終え、帰って昼食後お昼寝をした後、水浴びをして、図書館に行った。市民手作りの映画に出演することになったことはすでに書いたが、その撮影の初回が8月11日に行われるので、ゆっくりと涼しいところで台本を約2時間かけて読んだのである。

詳細は割愛するが、教頭先生役で管理者側、生徒を心の底で熱愛しながら、表面は非情なまでに、冷静にことを思慮深く生きる(生きざるを得ない)、難しい出番は少ないが重要な役である。

全体を先ず俯瞰的に読み、自分の出番の表面のコトバだけをとりあえず、書き写した。今日も含め、これからコトバを体になじませるために、覚えるのではなく、身体に入れることにした。音霊にすがって繰り返し読む。このことは遊声塾のレッスンでやっているのでとても役に立つ。

役の存在感に迫るための準備を自分なりに進めていきたい。次回の撮影は9月なので、そんなにハードスケジュールではないので、今の普段の暮らしの中で、万全の準備をしたいと考えている。

岡山での弓の稽古にまる2年以上(週に2,3回)通っていた時間が、この数か月ほかのことに使えるようになったので、実に肉体的にも精神的にも楽になった。身体に無理な負荷をかけてはほかのことが手薄になる、と思い知った。
私が大好きな作家です。

読書の時間も増えた、自分でいうのもなんだが、本が落ち着いて読めるし、読めば次々にほかの本が読みたくなるといった好循環が以前より続くようになってきた。

作者が精魂傾けて、何年もかけて書かれた御本を、襟を正して向かい合いながら丁寧に読むことの有難さが、いちだんと染み入る年齢になってきたのである。今この時代に生きていることの、生活上での共感が想像力をもって、首肯できるような、フィクション、ノンフィクション、伝記などの作品に出合うと、何故か元気になる。

だから、私は本にすがり、あらゆる私に活力を与えてくれるものにすがる。最近思う、自分はシェイクスピア作品をはじめ、何かに日々すがって生きているのだ、と。都合よく自分にあらゆる想像上のビタミンを取り込まないと、身体が酸欠になる、気がするのである。老いの酸欠を可能な範囲で防ぎたいのだ。

五十鈴川だよりを書くのも、きっと体の血流の意識の流れ、酸素の供給の加減を、まるでおまじないのように、図っているのかもしれない。さあ、今日は何にすがろうか。

2019-08-01

故郷往還旅、その二.

昨夜は遊声塾のレッスン、ふるさとから帰ったばかりで、こころがまだ岡山にたどり着いておらず、難儀な体を引きずりながら、何とかレッスンをやり遂げ、戻って深夜床に就き、5時間ほど熟睡して午前中のアルバイトを何とかこなし、戻ってシャワーを浴び、記憶の体が新鮮なうちに、五十鈴川だよりに向かう、真夏を生きる私である。


7月28日日曜日、私は義理の姉の用意にしてくれた朝食を済ませ、歩いて7分のところにある幸節館というIさんという方が造られた弓の道場に向かった。シャッターが閉まっていたが、入口の玉砂利が敷いてある木陰のスペースで約一時間久しぶりに弓の素引きをした。

五十鈴川だよりに正直に書いておきたい。私は岡山の道場での的前に立ち稽古は、あらゆることを勘案して、やめることにしたが、わが故郷に在る、兄の家から歩いてゆける距離にある個人の幸節館という道場にはわずかな時間であれ帰省の度に通うことに決めたのである。

私は、前回の帰省でこの幸節館という個人道場の存在を知ったのであるが、創られて36年になるというこの道場の主であるI氏に魅入られたのである。当年82歳、いまだ現役で弓をひかれている。
玉砂利が敷き詰められなんとも言えず気持ちがいい幸節館道場

何よりも、道場のたたずまいが、主の弓に魅入られた世界を寸部違わず表現されていて、そこに立つだけで実に気持ちがいいのである。的の向こうにわがご先祖のお墓が見え、山並みが望め、なんとも言えない気持ちになるのである。

翌日もまた、一人道場の外で素引きをしていると、I先生がやってこられ、すぐにシャッターを開けてくださり、さあ、引いてくださいと声をかけてくださった。私が習った流派とは異なるのだが、適切な指導をしてくださる。

おそらく、この先生との出会いがなければ、弓の稽古の持続を閉じていたかもしれないのだがこの先生との出会いで、またもやささやかに継続して修養しようとの思いが湧いてきたのである。

わがご先祖に見守られての弓の稽古、これまた奇遇なのだが、父母の眠るお墓のすぐ近くにI先生のご先祖もありことが判明。やはりこれまた何かのお導き、というほかはない。

ともあれ、こころから信頼できる弓の先生に出遭えたことで、私が故郷に帰る情熱に拍車がかかることになった。残りの人生時間、気持ちのいい場所で、気持ちのいい弓の先生との時間を大切にしたいと、こころから願う私である。