さて、今日は午後2時から行われる、土取利行さんの東大阪、司馬遼太郎記念館で行われる【坂の上の雲】の時代の【演歌】を聴きにゆく。共演は松田美緒さんである。
もう何回も書いているから、あらためて書くのはよすが、この世に生を受けわたくしごときにも大きな影響を受けた、出遭い、ヒトが何人かは存在するが、25歳でロンドンで直接出遭った土取利行氏はやはり、出遭うタイミングが若かったこともあるが、特別の存在である。
以来40数年になるが、氏の多岐にわたる創造的営為の表現現場には、事情の許す限り足を運んでいる。海外でのピーターブルックの演劇の音楽監督の仕事にはゆけなかったが、日本での公演にはほとんど足を運んでいる。(ピーターブルックの芝居を見に行って、舞台上での演奏する姿を見たのが氏との最初の出会い)
考えると、氏との出会いなくば現在の自分は存在していないと思えるほどに、一方的に勝手に、影響を受けたというか、今もってその影響の呪縛は続いている、といった稀な存在の音楽家である。
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関心のある方は是非、検索して氏の多岐にわたる歩み、取り組んできた音楽家としての全貌の一端を、知ってほしいと願う。
若き日、氏の即興パーカッションドラミングに度胆を抜かれた私は、あの年齢でいまだに時折パーカッションの演奏をされながら、今はだれにも忘れられた存在としての明治大正時代の演歌師、添田唖蝉坊・知道親子2代の稀代の仕事を掘り起こしている。まだレコードもラジオもない時代の路上の辻々でゲリラ的に歌う、演歌師の歌を。
氏は2008年末亡くなられた、パートナー桃山晴衣さんのお仕事を受け継ぐ形で、三味線を独習し、語り唄い始めた。驚嘆せざる負えない。添田唖蝉坊が演歌のルーツであることをはじめて私は知らされた。
近代化の影を生きた人々の声なき声の歌、歴史の闇に埋もれた、底辺に生きる民の苦悩を軽やかなメロディーとたぐいまれな歌詞(に込められた)演歌のルーツを掘り起こしている。再び書く、誰もが忘れている稀代の演歌師親子の仕事の再発見、掘り起しの難事業に果敢に取り組んでいる姿に感嘆せざるを得ない。
坂の上の雲のあの時代、庶民はいったいどのような歌にその身を託していたのであろうか。そして現代のわれわれが耳にする多くの浮世歌に、庶民の心を揺さぶるような歌がいったいどこに存在するや否や。少なくとも、私の感性に響いてくる歌のあまりの激減ぶりには、言葉を失う。言葉を持たない民の声を代弁する詩人の魂もった歌者はいずこへ。
歌を忘れたカナリアはいったいどこに向かうのか、ヒットチャート世代のわたしだが、お金に魂を囲われなかった添田唖蝉坊の民の声を救い上げ、なり変わって歌うそのシャーマン歌謡の素晴らしさ新しさ。今まさにこの現代を唖蝉坊の歌が照射するように思える。
亜蝉坊がまるで乗り移ったかのように、土取利行さんは語り唄う、そこに親子ほどの年齢さのある、歌姫松田美緒さんが寄り添う稀なコラボレーション。私にとっては今最も聴きたいお二人の歌である。
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