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2019-07-02

二日連続フルに働いた、夕方五十鈴川だより。

昨日に引き続いての、ちょっとだけ夕方五十鈴川だより。朝と夕方ではまるで体の感覚が違うのがよくわかる。朝の自分も夕方の自分も、同じ体なのであるが日々自分は違う、多分変化する身体をつまりは生きている、今日は今日の体、こころである。

さて、朝起きたらかすかに雨が降っていたので、頭を切り替えてほかのことに集中していたら、ほどなく雨が上がったのでいつもより遅い時間に仕事に出かけ、結果かすかに陽ざしが出てきたので、昨日に引き続いてフルに働いた。

こんなことは初めてである。梅雨時はなかなかに時間配分が難しいが、週に20時間働けばいいし、自分の判断ですべて任されているので、こんなに自己判断でやれるバイトは、生まれて初めてである。

はじめておおよそ10カ月が経過、ありがたいことに 、周りの初めてであった方々に暖かく接していただいていて、単細胞の私としてはすこぶる有難いのである。だから今やれる範囲で、きちんと責任を持って働きたいと思うのである。

職場でいただいたひまわり、すぐに妻が玄関に。
塾で教えるのせよ、働くにせよ、身体がきちんとベストの 状態でないと、良きレッスン、良き仕事は無理である。何度もかいているが、だから私はよく休むのである。寝起きがすっきりしないと、まず起きてすぐの五十鈴川だより、仕事から帰っての夕飯前の五十鈴川だよりなどは絶対に無理である。

だから、わずかな時間を大切に何か書こうと思う自分は、きっと調子がいいのだと思うことにしているのだから、自己偏愛ここに極まるといった、いよいよ本当に面の皮の厚い瘋癲老人の域に入りつつあるのではないかとの、思いもどこかでしている。

G20サミットも、トランプ大統領の電撃北朝鮮 訪問に関しての、メディアのこれでもかの繰り返し報道にも、瘋癲老人は冷ややかどこか醒めている。熱狂とか熱に浮かされたような、目まぐるしく右往左往するメディア報道には要注意である。

それより何はともあれ、このような世界的な貧困格差のひどさが、日々報道される最中、つましくもおいしくいただける食べ物があり、寝るところがあり、やることがあり、健康であるということの有難さ、足るを知るということはいかなることなのであるか。欲望を抑える欲望も必要ではないか。

ともあれ夕飯の時間のお呼びの聲、本日はこれにて。

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