午前中のアルバイトをお休みするために、その分一日時間を長く働いたので、この年齢では少しハードな日々ではあったものの、帰省の喜びがあるので、自分でいうのもなんだが、体調は非常によろしい。
人間やはり、可能な範囲で日々の暮らしの中に、精神のビタミンのような特別なニンジンがぶら下がっていた方が、たのしく暮らせる。ところで老いゆく初めて経験する未知のゾーンを生き粋生きるためには、最低の経済的な余裕は絶対的に必要である。
若いころとはまったく体の感覚が違うのであるから。最近冗談ではなく、自分が若いころとは、まったく別人とまではいかなくとも、別人の領域に入り込み始めたのを、何とはなしに感じている。
誤解されてもいいから書くが、どこか枯れ始めた自分を折々感じるのである。これを私は今のところ、老いの幸徳と思うことにしている。だから、会える時に何回でも兄や姉に在っておこうと思うし、五十鈴川を含めた、故郷のわが人生の命の源空間・場所、いわば一番大事なトポスに還るのである。
このようなことを臆面も書ける現在の自在な境地、有難いというほかなしである。だが枯れはじめてはいるが、外面はともかく、いまだアルバイトはできるし、遊声塾の素敵な面々の存在があるので、今しばらくは老いつつも老いの炎を限界まで燃やし続けるつもりである。(家族のためにも)
だから、体調維持を先ず第一に生活しながら、少しでも学びの時間を大切にすることにし、道場での的前に立つ弓の稽古は断念、部屋での素引きの稽古のみに限ることにした。
あれもこれもに集中時間を、割くことは叶わぬと諦念した。だからなのである、以前よりずっと、余裕をもって五十鈴川だよりが書けるのは。何かをしているときには、ほかのことはできぬ道理である。この年齢での一日の有限さ、優先順位の中で、もっともだいじなことに時間を割きながら、歩むことに決めたのである。
欲望を抑える欲望も必要と、いつぞや書いた記憶がある。漸くにして、もうゆったりと思索を深める年齢であると思い知ったのである。
ところで話は変わる。いつの日にか読める年齢が来たら読みたいと考えていた、畏怖する詩人であり作家である、先年おなくなるになった石牟礼道子さんの自伝をゆっくり、今読んでいる。もうすぐ読み終えるが、読み終えるのが惜しいくらい引き込まれる自分がいる。
きっとこれから、石牟礼道子さんが築かれた独自の文学を何度も老いと共に、自分は読むことになると思う、それほどまでに天草言葉というのか、独特の風土の記憶の言葉で、石牟礼文学は地に根差した言葉で、自由自在につづられる。
まさに、詩人の感性の特権的な、唯一無比の文学であることが、ようやく私にもその端緒が、理解できた。
かすかに、どこかに九州人的な言葉のニュアンスの近さを感じながら、昭和30年代のあのころの記憶の空気感を私も知っているがために、余計に入れ込んで読んでしまう自分がいた。
我が家から、20数キロのところに生家がある若山牧水のことも深くは知らない、朴念仁のわたしである。これからは近代化150年のふるさとの歴史も学ばないといけないと痛感している。
それにしても、か弱き民の声、立場に耳を澄ませる、詩人の嗅覚感性には脱帽する。添田唖蝉坊と共通する何かがある。
五十鈴川の源流宇納間は、わが父親のご先祖が住んでいた土地、歳を重ねるにつけかの地を散策したくなるのは、何故なのか。わからない、お呼ばれとでもいうしかない。
ともあれ、懐かしき人々がいまだ暮らしているあの地は、私にとってはどのような観光地も及ばない、まさになにもない(だがすべてある)桃源郷なのである。
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