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2019-07-21

【坂の上の雲の時代の演歌】を聴いてきました、そして想う。

土取利行さんからの案内がなければ、おそらく司馬遼太郎記念館にもゆくことがなかったかもしれない。本当に自分は無知蒙昧であることを、毎回思う。でもそういう自分の無知なる自覚がある間は、学べるという希望を持とう。

大政奉還以後からの明治大正、戦前前後の昭和150年の歴史を、私に残された時間の中で、庶民の側から少しでも学ばないといけないということを、土取利行さんと松田美緒さんの今回の企画、【坂の上の雲の時代の演歌】から、あらためて思い知らされた。そのことだけは、五十鈴川だよりにきちんと記しておきたい。

それにしてもわずか2時間ちょっとの時間では、添田唖蝉坊・知道親子の数百曲にも及ぶ、激動の時代の歌に込められた、多岐にわたる思いの深さを伝えることは困難である。(と思わされた)

土取利行さんと、今の時代の聴衆との乖離のような空気感のずれを、何故か感じてしまった。(それほどまでに私も含め現代人は平和な日常にどっぷりとつかっていて、危機感覚アンテナが弱まっている)私は少なくとも何度も土取利行さんの歌う唖蝉坊演歌を聴いているので、その世界に寄り添うことができるのであるが。

土取利行さんの、年齢を超越した熱き想い、添田唖蝉坊世界を伝えるには、一曲が数十分もにも及ぶ作品もある歌の奥深さを伝えるには、この時間ではちょっと難しい。企画する側の問題である。聴衆はほとんどが高齢者(私より上の世代が多かった)聴く体力が弱まっておられた。

でも中には、土取利行さんの話を熱心にメモしている人もおられたし、わずかではあったが若い方も(といっても40代くらい)参加しておられた。何事も学ぶには時間がかかる、私自身徐々に徐々に唖蝉坊のすごさが、何回も足を運ぶにしたがってじわじわとしみこみ始めているのだから。

お二人の出会いよる素晴らしいコラボレーション・CD
真の意味での偉大な芸術家の仕事は、後々の世まで伝わるのだと確信する。晩節の今、土取利行さんが取り組んでいる仕事は一音楽家の領域を超えている、と私は感じる。

言葉で伝えるのは至難だが、土取利行さんの熱き思いの深さは、奈変から湧き上がってくるのかは、神のみぞ知るというほかはないが、今この混迷極まる時代のさなか、唖蝉坊がまるで乗り移ったかのように語り唄う姿に、言いようのない思いが湧いてきたことを書いておく。唖蝉坊的生き方、土取利行さんの生き方は、私に勇気を与える。

最後に、松田美緒さんという歌姫、このような歌姫(日本人でこんなにファドが歌えるなんて)がいることも土取利行さんから知らされたが、この方の今後のお仕事にも注目したい。

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