27日土曜日、朝いちばんお墓参りを済ませ、義理の兄の車を借りて宇納間へと向かった。10時前に着いたので、車で散策していると宇納間炭焼館、という表示が目に留まったので、たまたま空いた道を走ってきた軽トラックの方に、炭焼感はどこにあるのかと問うと案内してくださった。
だが、館は締まっており見学はできないので困っていると、なんと案内してくださった方が、自分は炭を焼いているというではないか。見たいですかといわれるので、是非見たいと応えると、そこからやく500メートルの高さの山の上にある炭焼き窯まで案内してくださったのである。
詳細は割愛するが、そのいきなり出会ったご夫婦の作業場である小屋先で、私は一時間以上話し込んだのだが、お名前が同姓の日高龍生・(イセノ、奥様の名前)氏が門川小学校の同級生だということが判明したのである。
初めてみた5トンの備長炭が焼きあがる寸前の窯 |
聞けば奥様の先祖が生業にしていた炭焼きを、別の仕事をしながら50歳から炭焼きを始め、住んでいる門川から宇納間まで通いながら備長炭を焼いているというではないか。
これを奇跡的といわず何というのか。私は彼の名前も顔も失念していたが氏は私の名前を記憶していたのである。生年と生まれた月までおなじであった。57年ぶりの再会、氏は炭焼き仙人となっておられた。再会を約束した。
家のすぐそばの田んぼを眺めるベストカップル |
そこから、お昼を約束していた日高正俊・悦子夫妻の待つお家まで下山。ご夫妻とは二月の出会い、五月の再会、お会いするのが3回目、悦子さんはわが五十鈴川だよりを愛読してくれている稀な文学少女の面影の宿る宇納間人で、地元に伝わるお料理の名人である。
方やご主人は質実剛健、軟派な人生を歩んだ私とは全く異なる、男気のある剛毅で優しい心根の持ち主である。ベストカッ
見たこともないお庭に在った花、思わず写真を撮った |
今回は、メインは焼肉のお昼をご馳走になった。イノシシのお肉・珍しい白いホルモン焼き、絶品のお煮しめ、魚の南蛮漬けなど。このようなお人柄が、今も残るわがご先祖の地。私の足が向かうのは、失われし(オーバーではなく)日本の面影が、ご夫妻にあるからである。
車の運転があったので、お酒は飲まなかったが、次回はお酒を酌み交わしながらの一時を愉しみにしたい。わがご先祖のある今となっては辺境の地は、平日数本のバスが走っておらず、土日は運休なのである。
ご夫妻の家のすぐそばを秋元川が流れ、五十鈴川に合流する。家の入口には見事な桜。もうすぐ75歳になられる正俊さんは80歳までは稲を作りたいとおっしゃっていた。書いているとあの夏の家周りの風景が浮かぶ。
午後3時過ぎ、ご夫妻とお別れしたが、還暦を過ぎご先祖の地を帰省するたびに、何度も訪れていたおかげで、日高ご夫妻と出会え、今回またもや同級生の日高ご夫妻と出遭えた奇縁、何と形容しよう。
何も願わず、無心でお導きのように、内なる声のままに揺れ動いているとご利益が叶うとしか言いようがない。ともあれ、君子の交わり、淡き交友を願い午後3時過ぎ宇納間を辞した。