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2015-10-18

竹韻庵の小さい畑地にチシャトウを植えました。

月曜日から土曜日までこの年齢で、毎日時間はまちまちだがやることがあり、それをやり続けることで生活でき、日々を送ることができる私の今の暮らしに、ときおり真っ青な天を仰いで感謝する。

前回、私の書いたブログに岡さんがコメントを下さっている。この場をかりて深く感謝する。何度も書いているが私のブログにはコメントが少ない。だからどんなに短くてもコメントがあるのはやはりとてもうれしい。

竹の葉のお茶も生きているうちに何とか挑戦してみますね。可能なら、思いついたら何でもやってきたこれまでのわが人生、やろうと思えばほかの人の手を借りずできるのですから愉しい。

何事も自分の中から湧いてくる感情というものに、限りなく正直でありたいと思う私である。他者からは理解されなくても、迷惑さえかけなければ自分の気持ちのいい方向に、ただ単純に流れてゆきたいのである。

時代の流行や、自分にとって気持ちの悪いことには、できる限り近づかないように日々をおくれたら私は満足である。

さて、このところ週に3日竹韻庵に通っている。 昨日開墾した最初の小さな畑地にサンナンから頂いたチシャトウをとにもかくにも100株植えてみた。

日当たりが悪いし、土壌も数年は経たないときちんとした畑にはならないだろうが、景観的に何か作物が植えてあれば、との思いで実験的に自己満足で植えてみた。

竹韻庵には水道がないので、しばらくは水やりが大変だが、これくらいなら竹韻庵の雨水タンクと自分で水を運び何とか、その成長過程を楽しめたらと、勝手に思っている。

こちらの思い通りにゆくわけがないのが自然の摂理、こちらとしては自然のおこぼれをと、願うだけなのである。

耕し、笹の根を根気よく取り何とかそれらしい体裁に整地した小さな畑地は、なんともはや可愛い。水や日当たりの問題があるので畑地としては機能しないかもしれないが、整地しながら柿の樹なんかも植えてゆき、竹韻庵で過ごす時間を大切にしたい。

竹韻庵は岡山大学の裏手に広がる山中に在るのだが、森の中にひっそりとたたずんで在る。市街地との際に在るのだが別世界を堪能できる、得難い場所である。

S氏のおかげで竹韻庵管理人ができている今、動ける身体こそが 宝であると日々感じている。鎌で草を刈る。つるはしで小さな木の根をとる。鍬で畝を作る。ばんじで草を集める。斧で樹を割る。

大地と戯れるかのように、地下足袋で地面を踏みしめ足を運び、日々体を動かせることの幸福を私はかみしめる 。

ひとしきり体を動かして後、家に戻ってゆっくりと、在るもの、残り物で麺類中心昼食を作り、すませた後はしばし短めの午睡、目覚めてからは全く異なることを、夕飯までの時間過ごしながらの日々を送っている。

図書館で本を読んだり、運動公園で声を出したり、掃除したり、新聞をじっくりと読んだり、買い物をしたり、DVDを観たり、我が家の冬用の薪を割ったりと、まあ生活全般の雑事をやっているのである。

夕食前はメルとの散歩も私の日課になりつつある。まあこのように深まりゆく秋を感じつつ、平凡の極みわがくらしである。

ところで先日、森の中を風が吹くと、どんぐりの落ちる音がわが耳に響いた、たぶん生まれて初めて聴いた音。森は私の心を洗ってくれる。



1 件のコメント:

  1. また 出荷できるくらい 収穫 できたらいいですね。チシャトウって あまり 店頭で見かけないので 食べてみたいです。

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