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2015-10-06

5日ぶり竹韻庵に復帰、小さな夢の畑地を耕す今の私。

昨日から再び動き始めた。たった3日間静養していただけなのに、あらためて動けるということの有難さを、抜けるような秋空のもと、天を仰いでささやかに感謝している。

時間的に農の仕事を辞してから、かなり自分の個人的なことに割ける時間が増えたことが、何よりもありがたく嬉しいことである。

声を出し、読み,書き、体を動かし、生活に関する様々な雑事も一日の中で余裕をもってやれる今がバランスがいい。

この歳になっても、悲しい性(さが)的な己と付き合いつつ、今という時代を生きてゆく中で、自分自身を見つめ続けてゆく、いわば覚悟と勇気を育むためにはどうしたらいいのかを、あきらめずに、足を上げて地面を踏みしめている、今日の五十鈴川だよりである。

さて、今日五日ぶりに竹韻庵に行った。朝は肌寒かったが最高のお天気で気分は最高。病み上がりなので、あまり無理せず草を刈ったり、あれやこれや思いつくまま、体を動かし、11時前には作業をおえた。
1号地になる予定の小さな畑

竹韻庵にはイノシシがやってくる。イノシシがミミズを食べにやってきた後の、大地をほっくり返した後は、波打っているのですぐにわかる。そのエネルギーはまさにすさまじい。

いま、笹の根を取りながら、ゆっくりと開墾しながら、最初の小さな畑を作ろうとしているのだが、イノシシのことを考えると、作物を何にするのかを熟慮しなければならない。

仕事ではなく、手の届く範囲の小さな畑地での作物を育てたりすることは、母や妻と共に、身体が動く限りやり続けたい私だ。

60代、これまでの自分とは異なる可能性を探ってみたいのである。よしんばうまくはゆかなくても、ちっとも構わない。

そんな悠長な、遊び心でやれるようなことが、S氏のおかげで、突如わが人生に訪れたまたとない好機を私はただただ、S氏と共に楽しみたいのである。

80歳過ぎて、もし生きていたとして、後悔したくはないのである。今日やりたいことを、やれることをやった後に、明日がやってくる。そのことの繰り返しの連鎖の果てに、もし果実が、といわば夢見るわけだ。

何度も書いているが、未来が不確かであればあるほど、いまという一日をきちんと生きるより、ほかに私には方法がない。私の場合夢を見るには、汗を、体を動かすしかない。





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