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2015-10-02

9月30日、なんとも不愉快なSEALsの奥田愛基さんに対する脅迫状の記事に、思う。

63歳の夏旅で私が沐浴した大槌町の不動の滝
数日前ちょっと油断して、湯冷めをしてから喉が変調して、いつものようにやばいと思ったのだが時すでに遅しであった。

しかし、いつもよりはひどくはなかったので水曜日の遊声塾もなんとかこなし、昨日は竹韻庵委にも出かけ体も動いたので、安心したというわけではないのだが、やはり少し雨の中で体を動かしたのが良くなかったのだろう。

幸い熱はないのだが、いがらっぽい咳がでるのでここで無理したら、万病のもとになってしまうかもしれないので、今日は大事を取りじっとして過ごそうと思いながらも、ブログを書いている私である。

昨日とは打って変わり、秋の陽光が差し込んできている。体調は万全ではないがかろうじて本を読んだり、新聞を読んだりはできる。

本当はブログを書く気はなかったのだが、おとといの新聞に、SEALDs の中心メンバーの奥田愛基(あき)さんに、殺害を予告するような脅迫状が届いたという記事が社会面に出ていたので、書かずにはいられないのだ。

奥田さんによれば、家族にまで殺害予告が来ているという。一言呆れる、卑怯千万、笑止の沙汰というしかない。

私は何度も単細胞を自認しているし、訳知りな複雑怪奇な思考能力などまったくもちえないし、対応能力のない自分自身を、時に持て余しつつ、平凡に過ごせる日々の暮らしをこよなく大切にしている、一庶民である。

が、この記事には五十鈴川だよりは黙ってはいられないのだ。自由にものが言えない、もしこれが脅かされるとしたら、何おかいわんやである。

ユーモアのかけらもない閉塞感極まる、異なる意見に耳を傾けようともしない不寛容な社会の到来は何としてもご免である。言論の自由、表現の自由は民主主義のかなめである。

失ったら、またもや取り返しのつかない、物も言えない顔色を窺う暗い時代が不気味に忍び寄る、気が私はする。

上位下達の時代ではないのだ。曲がりなりにも何だかんだ矛盾を内包しながらも、戦後70年我が国は民主主義を、立憲主義を国是として歩んできた。今こそ国民の良識の水準が、戦後70年培ってきた国民の真価が、まさに問われている瀬戸際という気がしてならない。

そのような時代に忽然と現れたSEALsの若者たちの表現行為は、うまくは言えないが何かこれまでにない新しい可能性の萌芽を、閉塞感に風穴を開けてくれそうな可能性を感じるのである。

もっと言えば、新しい日本人の出現とでもいったものすら、私は個人的に感じている。 自分たちの国の行く末を、久しぶり、若者たちが自分たちの頭と体で、イデオロギーの色がなく素朴な率直さで現れ表現し始めた。

新しいユニークな若者たちの活動を、姿も見せず、卑怯な手段で封じ込めるようなやり方は、まったくもって言語道断、私を暗澹とさせる。

物言えば唇寒し秋の風、なんて時代錯誤も甚だしい。蛇行しながら、悩みながらも若者たちは声を上げることを継続している。五十鈴川だよりのおじさんも蛇行しながら、今後の展開を可能な限り見守りたい。

初夏から今に至るもあらゆる手段で試行錯誤しながら歩むSEALsの若者たちを、おじさんは応援する。

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