竹韻庵の小さな畑にS氏と柵を作る |
さすがにこの年齢になると、そうは肉体労働はしたくなくなるのではないかと考えていたが、想像以上に体が、未だ動くことに有難いという、単純な喜びに満たされる。
10月中、(もうあと2回だが)サンナンの畑で週2回午前中働き、竹韻庵で3日働き、声出しを2回やり、何かとあわただしく時が流れてゆく。
そのうえ、外壁の柱を先週の日曜日から塗りだしたので、かなり肉体に負荷がかかる生活にしばしなっているのである。
塗装は平日は夕方2時間くらいコンスタントにやっている。お天気が続いているし、私の性格なのかいったん始めると切りのいいところまで、どうしてもやりたくなってしまうのである。
時間はかかるが、わずか6日で家人も驚くほどに塗れた。案ずるよりもまずはなにともやってみることであると、あらためて感じ入ってしまう。大変だがわが家がきれいになるとうれしい。
日焼けして色むらのあった部分が統一された感じで塗られてゆく、乾いてくると分かるので、根気よく作業をどうしても続けたくなってしまう。空には月がぽっかり出て美しい。
作業を終え湯を浴びると、もう何もしたくはないといったくらい、充実した疲労感が襲う、妻や娘が応援してくれるし、手早く美味しい夕飯を準備してくれるので、これで英気を養い頑張れるのである。
そのようなわけで、実によく眠れる、気持ちのいい秋を過ごさせていただいている のだ。時間は一定あれもこれもはできないのだ。
ところで、話は変わる。こないだコラムニストの中森明夫氏が、瀬戸内寂聴のSEALDs小説を絶賛した文章をM新聞に寄せていた。
中森明夫氏のコラム |
現役最高齢の作家が書いた青春ラブストーリー、若い女性がSEALDsの主催のデモに参加して、これまで付き合っていた彼と別れ、デモで出会った彼と新しい恋に落ちる、といった物語を、みずみずしいラインの文体で書き綴る93歳に、驚嘆している。
出だしの文体が引用されているが、まさに今を生きる若い女の子が書いているかのような文体なのである。
文芸誌すばるに掲載された、【さようならの秋】と題された わずか4ページの掌編。誰しも好みはあるが、そんなことはどうでもいい。超越したかのようなある種前人未到の境地を自在に遊んでいる、かのよう(読んではいないのに)。
秋空のような爽快感が私を襲った。性差はあるが枯淡の境地を時に生臭くも、生の終焉に向かって、こうも軽々と越境したかのようにふるまえる、書ける、寂聴さんには、やはりお釈迦様が棲みついているといわざるをえない。
可能なら満分の一滴でも見習いたいものだ。体の中をさわやかな風が、常時流れているような感覚を持続するためには、いかように老いに向かって生きればいいのか、きっと永遠の謎。
だからきっと生きていることは面白い、という側に私は立つ。五十鈴川も前向きに 、自分の感覚に正直に流れてゆくのみである。
0 件のコメント:
コメントを投稿