なんとも可憐なぼけの花 |
いわゆる社会や、世間とずれたような感覚なのだが、還暦を過ぎてからは、自分の体が発する感覚に可能なかぎり正直に歩んでゆきたいので、優先順位的に、まあこれでいたしかたないと、言った塩梅である。
ITをする時間を、若くはない私は、最低限しかしないと、どこか決めているのである。そんな私が4年4カ月以上ITブログを書き続けているのは、いささか我ながら驚いている。絶対矛盾、私のブログを開いてくださる方とは、意識が続く間は間接的であれ(時折直接お会いしたい)大切に厚誼を深めてゆきたいと思っている。
実名でいつもコメントをくださる岡さんが、私のブログにコメントを入れる方法を、コメントで教えてくださってから、おおよそ20年のお付き合いの、私にとっての忘れられない大切な友、岩間さんから実名で、読んでます、とのコメントが入ってきた。岡さんこの場を借りて、遅くなりましたが、心から感謝します。
五十鈴川だよりになってから、私がブログを書き続けている一番のエネルギーの源はやはり、遠方に住んでいる、私の大切な方々に、私の日々の生活の中での思いや、暮らしぶりを、伝えたいという、性(さが)なのだと思います。
普段会話ができない大切な友人知人に、思いを伝えるお手紙のようなブログを、書き続けたいという生きている衝動のような感覚だと、自分で思っています。
それと、初めて経験する老いという未知のゾーンを意識的に生きて、日々の思いをつたなくても書き続ける中で、何かを探し見つけてみたいという、オーバーですが自己発見ブログ(自己激励、他者激励)でありたいのです。(書くことが見つけられず、意識が働かなくなったら、速やかにブログを書くことはやめると思います)
瞬時に、岡さんや岩間さんとつながるのですから、ITには脱帽するのですが、その便利さの上には、胡坐をかきたくはないのです。
確かに便利この上ないものですが、以前も書いた記憶がありますが、便利さが人の心を育てるのか否かということに関しては、私ははなはだ懐疑的な立場に立つものです。
心とは何か、心は育つのか、哲学的深遠な問題は置いといて、限られた有限なる人生を旅に例えれば、たまたま出会い、縁があった方々と、一回こっきりの人生を間接的にではあれ、旅人同士のほど良き豊かな関係性を、つたなきブログで育みたいと、私は思うのです。(現代人の関係性は限りなく不毛化しつつある、そこを何とかしたい)
わずか一週間でも、ずいぶん書いている、今現在の私がいます。今日現在がすべて、時間については又書きたく思いますが、過去も未来もなく、今だけの流れ連なり。
昨日、NHKで細胞の不思議を探る番組を、たまたま見ました。老いてゆきつつも熱中することで、細胞は自己活性化するということが、最前線で分かってきたとありました。老いの中にも希望が持てる、面白い時代がやってきているのではと、私個人は感じています。
老いも若きもない、情熱を傾けられるられる世界を持っているかいないかで、かくも脳細胞は変化するということ。
ともあれ、岡さん、岩間さんお元気で良き春をお過ごしください。また連絡させてください。声を聴きたく存じます。