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2019-01-31

久しぶり、シェイクスピア遊読輪読会チラシ配布を思いつく朝。

昨夜は遊声塾のレッスン日。レッスンの夜は体は疲れていても、声に出した登場人物の気持ちが残っていたりして、単細胞の私には珍しく床に入ってもすぐには眠りに落ちない時がたまにある(ほんとにたまに)。

昨夜は16歳のロミオや同世代のティボルト、ジュリエットの父親ほかいろんな人物を音読したので、年齢を忘れいまだ精神が高ぶるのである。

精神が高ぶっていて、すぐに睡魔が訪れなくても横になり、じいっと闇の中で物思いにふけっていると、気が付くと眠りに落ちている。

ところで、雨は落ちていないが雨模様の朝である。今日は午前中の仕事はなし 、ゆっくりと五十鈴川だよりで始動する。

シェイクスピアの輪読遊読会を始めることはすでに何回か書いているが、3月24日午後に、とにもかくにも第一回がやれるところまでこぎつけている。

ひょんなことから、遊声塾のレッスンに参加されるようになった塾生のNさんが、私の苦手なことをすべてカバーし、素晴らしいチラシを作ってくださった。今週中には出来上がる。

Nさんのおかげであっという間にチラシができた(感謝)
チラシが完成したら、時間を見つけて、あちらこちらに 配布に動こうと思っている。動かないことには新しい出会いはない。

この6年間シェイクスピアを音読し続けてきたことで、私自身の初老生活がいかに充実してきたかは、私自身が一番自覚している。

だが、冷静に考えると、老いながらあの膨大な、時に魔術的なほどに絢爛豪華なシェイクスピアの登場人物の言葉を、性根を入れて音読できる時間は、指導は別にしても私には限られている。動かずば悔いが残る。

だからなのだ、悠々として冷静に急げ といった心持の体のわたしだ。チラシ配布などは企画者を辞してからはほとんどやっていないのだが、効果のほどはさておき、15名くらいの輪読参加者を募るために、やれるだけのことはやってみようと思っている私である。よしんば参加者が募れなくても、後悔だけはしたくない。

だから今日は時間を有効に使うべく、何人かのひとにアポを取り、会いに行こうと考えている。

思いついたら吉日、何はともあれ行動あるのみである。












2019-01-27

五十鈴川だより8年目、寒い朝に思う。

週に一度くらいしか書けない時も、何とはなしに、のらりくらりと書き続けて、五十鈴川だよりももう8年目になる。

三日坊主と人に揶揄される私が書き続けていることが、自分でもにわかには信じられない、継続は力なり、とはよく言ったものであるとやはり思う。

私自身が、一番やはり驚いている。何しろ、本を読むのも、文章を書いたりすることも、苦手であった私が、今や本は手放せないし、週に何回か五十鈴川だよりを書かないと落ち着かないくらいに、書くという行為が自然の流れになってきつつある。

特に昨年から、今年にかけては随分五十鈴川だよりを書いている。書くことで、昨日の自分と今日の自分との、それこそ超ミクロの意識の移り変わりを綴ることで、自分自身の危うい移り変わりを、確認しているのである。(ように思える)

自己満足、自己確認、いわばどこか厚顔無恥につづる瘋癲初老人の精神の自慰行為である。そして老いつつ、老いに揺れるいい歳の私がいる。




月に一度墨をすって文字を書く、丸6年が経った。愉しい。

老いるとは、初めて経験する未知の領域の自分との出会いであるとしかいいいうがない。誰かが言っていた、子供の悩みも、老人の悩みも、本質的に人間の悩みは同じである。


そうなのである。ヒトは老いも若きも悩みつつ前進もし、後退もする壊れやすい器なのである。その器をいかに運ぶかという、運べるのかが、私の場合肝要なことなのである。真理はもろくも揺れ動く、だから、五十鈴川だよりを綴るのである。

いわく言い難いが、私の場合苦しむことと悩むことはかなり異なる。悩みはするが苦しむことはご免である。老いつつも感性の欠落を少しでも補うためには、どう生きればいいのかという事こそが、肝要。

言わぬが花的な日本スタイル、それを言っちゃあおしまいよ。野暮、であるとは思うのだが、何しろ私が大好きなシェイクスピア先生は饒舌である。語るに落ちるともいう、だが、私は語って語って人生を終えたいという側に、徐々にシフトしてゆきたい。

デジタル機器にはとんちんかんな私だが、レイさんが五十鈴川だよりを設定してくれたおかげで、気ままに雑念タイムが過ごせるのは、矛盾しつつもうれしい。やがていつの日にかつづれなくなる。書けるいまを書くのである。


2019-01-26

旅は束の間の解放、気のおもむくまま、最後はこのところ必ず神田で過ごす。

土曜日の朝である。先週、五十鈴川だよりを書きあげて、上京してから瞬く間に一週間が過ぎた。

わずか二日半の東京旅、着いて日曜日の午前中 娘たちと朝食をするために、神田のホテルを早朝に出て、都心散策を楽しんだ。

大手町から皇居前、桜田門、三宅坂から麹町(この近辺の会社で妻は働いていた)まで歩き、そこから地下鉄半蔵門線で渋谷に出て、井の頭線と京王線を乗継、娘の暮らす稲城までゆき、束の間東京家族とブランチを過ごし、とんぼ返りで両国に向かったのである。

健康であるからできるのだと思うが、18歳で上京後暮らした場所を、訪ねたくなる自分がいるのは、きっと年齢的に過去を反芻する余裕のようなような感情の表れであると、自分では思っている。

どこか今現在の暮らしに余裕がなかったら、(いろんな意味で)東京散策は不可能である。神田、水道橋、飯田橋、お茶の水、銀座、あの界隈はスマホがなくとも、体の中に未だ地図がある。

ロンドン自費留学を思い付き、3年近く当時水道橋に在った旭屋書店でフリーター生活、週に3日、雄山閣(いまもある)という出版社で宿直のアルバイトもやっていた青春真っただ中、早朝皇居一周のジョギングをたまに私はやっていた。
東京堂書店のブックカバー(めったにカバーをしないのだが)

その時の記憶が、きっと今回神田から麹町までのおおよそ皇居半周を歩かせたのである。

今後、きっと上京するたびに、歩ける間は東京ウォーカーになりそうである。何せ私にしか感知しえない、思い出がぎっしりと詰まった土地、時に苦しく苦い青春時代特有のおもいでまでもが、今となってはノスタルジックによみがえるのである。

老いたのであるという自覚と共に、歩けるうちにいろんな記憶の整理確認をしたりしながら、いよいよこれからの人生時間をこそ、きちんとしっかりと歩まねば、との思いが私をして、歩かせているのだと思う。

お恥ずかしき、おじじの青春時代を望晃くんに伝えたいとの思いもどこかにあるかも。いずれにせよ、私は歩くのが嫌いではない。

東京は、私にとっては限りなくアナーキーになれる魅力的な大都市である。若い時には生活するだけで精いっぱいであったが、今は足の向くまま、老い楽街歩きが楽しめる。

旅の醍醐味は私の場合、身軽な服装で、情報を追わず、まったく何にも拘束されず、おのれの体を動かし、視野に入る近景遠景に身をゆだねることである。必ず意外なことにであえる。芯からの解放、たまさかであるからいいのである。

ところでこの数年、必ずゆくところに神田の東京堂書店がある。カフェも併設されているので 買った本が静かに読める。近くには岩波ホール。(今回もグルジアのフィルム、ブドウ畑に還ろう、を見たが面白かった)

神田には、上手いカフェや手ごろなランチの店が狭いエリアにひしめいてある。犬も歩けば棒に当たる、的な旅こそが私は好きである。

2019-01-25

シェイクスピア遊読輪読会のチラシ原案に、私の思いを入れる言葉を考える。

(2019年、新たにシェイクスピア作品の遊読輪読会を具体的に始めることにした。)
塾生のNさんが作ってくれたチラシ原案

シェイクスピア遊声塾を始めてまる6年、塾生とのレッスンとは別に、もっと多くの未知なる方々と共に、一期一会的にシェイクスピア作品を遊読・輪読する魅力を知ってもらえたら、との思いがにわかに私の中で強く湧き上がってきた。

(私自身これまで生きてきた人生の中で、転機の際、多様なシェイクスピア作品の登場人物の言葉に、生きてゆく勇気、ヒントのようなものを勝手に解釈しながら得てきた。)

人間の実存的な危うさ、生れ落ちた運命の中で、個人が悩み苦しみ格闘する姿を、シェイクスピアの作品群は、初期から後期まで、37本の作品(悲劇・喜劇・歴史劇・浪漫劇など)の中で見事なまでに描いている。その多くの作品群の言葉は国境を飛び越え人の胸を撃つ。

人間存在の絶対的矛盾、根源が浮かび上がる作品群の言葉のあまりの素晴らしさ、その言葉の豊饒さを声に出し続けてきて、老いらくの声ではないが、この歳にしては少し不似合いな、まるで言葉に恋をしているかのようにシェイクスピア作品を読む楽しさが増してきたのである。その思いを未知の方と分かち合いたい。

未知は、あまりの素晴らしさに満ちているという側に私は立つ。シェイクスピア作品を声に出しあう【場】を設けたい理由、人と人がシェイクスピア作品を声に出しあい、出遭いたいのである。



2019-01-24

妻の生誕日に想う、夕方の五十鈴川だより。

言葉にならない知的刺激を受けて岡山に戻り、昨夜充実した遊声塾のレッスンを終え、早木曜日である。

この時間帯に五十鈴川だよりを書くことは珍しいのだが、今日は妻の誕生日である。妻のことを五十鈴川だよりに書くことは、多分私が年齢を重ね、面の皮が厚くなるにつれて、きっと増えてくるのではないかという気がする。

何回か書いているが 、妻に関することを書くことを妻は嫌がるので、努めて書かないようにしているのであるが、生誕日はやはりおめでたい。妻なくして私の人生はないが(これはのろけでは全然なく、事実である)特別なことはしない。(妻が仕事を辞めたら何かしたい)

いまは二人でささやかにお祝い食事をするだけである。東京の娘たちや、レイさんからも朝一番お祝いの言葉が届いていた。妻は そこはかと嬉しそうだった。妻は母性の鏡のようなタイプの人である。

妻は花が大好きである
見知らぬ男女が出逢い家庭を持ち、何とかやりくりしながら30数年現在に至っている。双方の両親の子育てのおかげなのだと感謝し、極めて足るを知るを心かけ、つつがなく家族全員が生活できている今を感謝するだけである。

世代も環境もあらゆることが異なる我々だが、何故だかはわからないが、共にくらしていられるのは楽だからというしかない。

あえて共通するものを強いてあげるなら、二人ともつましいひと時暮らしが好きだということくらいである。

お互い華美な暮らしを経験したことがないために、そういったことができないし興味もなく、何が普通科は置くとして、普通に今日一日がつつがなく健康に過ごせればそれに勝る悦びなし、といった点では完全に一致している。

歳と共に、つれあいの良さがしみてくる、先のことは神様の領域だが、連れ合いとの晩年時間をこそ楽しめるようになりたいと私は願っている。

いよいよこれから健康を基本に、夫婦の良き関係性の持続、お互いの時間を大事にしたいと思うのである。



2019-01-22

二十日、両国のシアターXで行われた邦楽番外地に立ち会うことができた喜び。

まだ少し身体が寝起きだが、いつものように書いているうちに何かがつづれるやもしれぬというあんばいの朝の五十鈴川だより。

わずか二泊三日の上京旅から昨夜9時過ぎに帰って きて、遅い夕飯を少しだけ食べ、久しぶりに爆睡した。

さて、今回の上京旅、非常に中身の濃い、出かけた甲斐のある面白い出来事が続いて、やはりたまには田舎から出かけないといけないと痛感した、上京旅となった。

その出来事の詳細を、つまびらかに記す言葉も時間も持ち合わせてはいない、五十鈴川だよりだが、両国のシアターXで昨日午後行われた土取利行さんの邦楽番外地、一言出かけてよかった思わせるに十分な密度の濃い、意外性に満ちたイベントに立ち会えた。

毎回私の知らない素敵なゲストアーティスト が邦楽番外地には出演するが、今回も名前だけはよく知っているが、直接ライブを聞いたことがなかった、いとうせいこう氏。

いったいどのようなイベントになるのか、興味しんしんで出かけたのだが、想像を超えた知的でスリリングな言葉が飛び交う(土取さんの歌う唖蝉坊の言葉といとうせいこうさんのラップの見事なまでの融合)意外な展開、時代の闇をあぶりだす、芸術家同志の感性が見事なまでに舞台に厳然と出来した。

時代の底辺を生きる人々に寄り添って歌を紡いだ偉大な親子
まず数曲土取利行さんが、三味線を手にし添田唖蝉坊のうたを歌ったのち、いとうせいこう氏が登場し、とても言葉では記せない思わぬ意外な組み合わせの創造性あふるる 、即興ライブがお二人の間に展開し、そのあまりの楽しさ、素晴らしさ(時代の闇を照射する言葉のすごさ、しかもその言葉は激しくも優しい)にびっくりさせられたことを、わずかであれ五十鈴川だよりに書いておきたい。

この歳で生で初めて聴くラップを、よもやまさか土取さんの邦楽番外地で聴こうとは、そしてそのラッパーがいとうせいこう氏であったなんて、これがまさにイベンチュアルな出来事といわずして何といおう。氏の低音の繰り返しの激しく迫る波のうねりのような、詩人のラップに土取さんのパーカッションが寄り添う。

土取さんが演奏し歌う唖蝉坊の(言葉が平明で、だから言葉を持たない底辺を生きる人たちにもきちんと届く、私にも)世界と、いとうせいこう氏のラップの世界との即興ライブ、今そこで眼前に繰り広げられる瞬間芸術の両者のあまりに見事な融合。

両者が、芸術家同志が、年代も歩んできた道のりも異なるお二人が、見えない芸術の世界で見事に心を通い合わせるまさに一期一会のスリリングな催しに立ち会うことができた喜びをわずかだが、きちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。






2019-01-19

前人未到の世界を多面的に追及する音楽家、土取利行さんの今を確認しに出かける朝の五十鈴川だより。

花金ではないが、妻も私も金曜日の夜を共通して喜べるようになってきたのは、私が午前中の、私の現在ではこれ以上は望めないほどの、フリーター生活を昨年夏の終わりから始めたからである。

瞬く間に金曜日の夜がやってくるというような按配の暮らしを続けている。頑張り屋の妻には、もう仕事を続けなくてもいいのではと、声をかけたりもしているが、本人は60歳までは働くといっている。

(これからは一段とお互いの生活を尊重し、寄り添ってささやかに、よりよく老い楽力を高めてゆきたい)

だから、彼女の場合ことさらに金曜日の夜が、私以上にうれしいのである。ささやかに金曜日の夜は、共に翌日の朝を気にしないでゆったりと夕飯を味わえる事がまたうれしい。

人間の暮らしには、特に私の場合、何かにおわれるようないい意味でのストレスが必要、それが向上心につながるのではという、淡い期待がある。

それに対応するには、何といっても体力が勝負なのである、身体あっての気力である。

夕飯後たまにであるが、見たいTVなどもあるのだが、私も妻もとにかく体調維持を優先し 、一日よく動いてくれた体をいたわり横たわり、寝むようにしている。

大げさではなく還暦後、特にこの数年意識的に体をいたわるようにしている。そのおかげだろう、一日にリズムが生まれ朝の目覚めが実にさわやかである。

とくに午前中は老俊(春)を感じるほどに快調感がある。だからなのだろう、五十鈴川だよりを綴れるのは。睡眠の奇蹟というしかないほどに、7時間熟睡し今朝もおかげさまで快調である。

ところで、今日から急きょ二泊三日で上京することにした。今回はノア君には会いに行くが、娘のところには泊まらず両国に近いホテルにした。

出掛ける前の五十鈴川だより、何度も書いているが東京はわが青春の思い出が、ぎっしりと詰まった大都市、特にこの数年私にしか感知しえない思い出の土地、暮らした場所などに足が向かう自分がいる。

それは、きっと私がいい意味で老いてきたことと、今現在の暮らしに余裕があり、どこか幸福であり、ただ単に青春時代を振り返るのではなく、望晃くんの生誕と共に、ささやかに生まれ変われないにしても、今しばらくの元気な自分を持続するための、良きあがきのようなことをどこかに求めているからである。
42年前三味線をもって歌う土取さんを誰が想像しえたであろう、すごいの一言。

ところで土取利行さんは私より2歳年上、私の青春時代に最も良き影響を勝手に受けた音楽家である。最初の出会いは25歳ロンドン。

最も尊敬する演劇人、ピーターブルック演出のユビュ王の舞台上での楽師として、パーカッショ二ストとしてである。(その後、氏のなした探究心尽きない仕事は、同志の桃山晴衣さんとの出会いで、ぐんぐん多岐に広がる。演歌のお仕事は桃山さんの道半ばの志を受け継ぐものである)

その出会いがなかったら現在の私はない。あれから間もなく42年、つかず離れず私は氏の多面的な音楽的追求の現場にそっと可能な限り足を運び 、非力を顧みず全力で、企画自主公演も数回実現してきた。

そして今また演歌のルーツ、源流でるの明治大正期の偉大な添田唖蝉坊・知道親子二代の知られざる歩みの全貌に迫り掘起こし、果敢にやむことなく前人未到の世界を突き進んでおられ、必ず案内を下さる。

武士の情けという言葉がある、友情という言葉もある。父親が言っていた情を大切にせよと。言葉にしたいが言葉にならない絶対矛盾 的な感情、氏ほど孤高を端然と生きておられる芸術家を私はほかに知らない。頭が下がる。

私にできることは、案内に応えて出かけるだけである。明日は氏の現在を眼底に焼き付けるつもりである。