夜明け前、一時雨音が凄かった。目が覚めたが今月の労働は先週で終わったので、今日明日は労働はなし、だから雨音に聞き入りゆっくりとおきた。今朝は朝食後、3通のお便りを書いて先ほど自転車で投函してきた。
![]() |
中央のシートの下の廃材を片付けた |
さて、記憶が新鮮なうちに、昨日の猪風来美術館野焼き祭りイベントのミーティング、及び作業のあらましを綴っておく。
起きてすぐ近所のスーパーにミーティング参加者のためのお弁当を買い、朝食を済ませ、7時26分の電車で岡山へ、瀬政さんの車で猪風来美術館へ向かった。途中コンビニで小休止、10時前に着いた。
すでにNさんや地域の方たちが、駐車場や美術館周辺の斜面の草刈りをしていた。盟友大場さんもやって来て、猪風来さんの指示で、私、瀬政さん、大場さん、Nさんの四人で当日の客席作りのシミュレーションをする。8畳の筵を広げ、その回りに、パイプ椅子を実際にある程度並べ、おおよその人数の把握をする。それだけでも、シミュレーションができて、実行委員会の一人として安堵した。
その後、お昼まで時間があったので、縦穴式住居の近くにあった、舞台背景にはちょっと邪魔な廃材の片付けと、当日燃やす(縄文鼓を暖める)薪を綺麗に積む作業を、我々4人と野焼き祭り、法曽焼き同好会のKさん、猪風来さんの計六人で、一丸となって約一時間やった。すっきり、場がいい感じになった。
Nさん以外は、古稀を過ぎた高齢者ばかりではあったが、皆普段から体を動かしている面々であったので、思った以上に早く作業の目処がついた。大場さんとは長い交友だがともに体を動かすのは初めて、大場さん最初は戸惑って、軽口をたたいていたが、始めると体が動く。
瀬政さんもお世辞ではなく、やはり山で鍛えているから、よく動く。古稀を過ぎたら動く体こそが宝であると、心底私は思う。心情は体の動きに表れる。この偶さかの、冗談が(特に私と大場さんの間で)飛び交う作業が愉しかったことを、五十鈴川だよりに打っておく。
共に体を動かして、事務所で和気あいあいお弁当昼食。ちょっと話が逸れるが、仕事ではなく、心情あふるる利害のない、ボランティア参加者との作業やミーティングは本当に楽しい。
猪風来さんからの思わぬお声かけで改めて思うのだが、なによりも主体的に、自分の頭で考えて、縄文野焼き祭りに参加してくださるボランティアたちの存在は少数だが実に心強い。(心から喜びを分かち合える、今回の実行委員会ボランティアはサイコーである。)
9月最後のミーティングは、細部の詰めの確認事項に重きをおいて進行し、最後に、猪風来さんから縄文への回帰、近況の動き、(2027年横浜で開かれる、花の博覧会への猪風来さんの作品展示、ほか)について実行委員会に報告があり、ミーティングを終えた。
改めて最後、打たれたのは、野焼き祭りへの尋常ではない、100点もの作品を一日で焼きあげる責任感の深さである。法曽での41回目の野焼き、お天気に恵まれ、無事に野焼きが終わることを、スタッフの一人として祈るしかない。ミーティングを終え外に出るとかなりの雨、猪風来さんの案内で、4ヶ所の駐車場を全員で確認して、猪風来美術館を後にした。
瀬政さんに岡山駅まで送って頂き、17時半家についた。(なりゆき、行き帰りの車中、瀬政さんと話すことで、若き日のこと、忘れていたことが次々と思い出された。若き日の辛い出来事も、今となっては切なくも甘美な記憶して、脳の海馬の奥深くにしまわれていたのだ。話を聴いてくださった瀬政さんに感謝する)
0 件のコメント:
コメントを投稿