休日は五十鈴川だよりを打つことから始める、ということがルーティンになってきている。66歳の夏からいまの高齢者バイトを始めてまる7年になる。一言7年、そして昨日も元気に午前中だけとは言え労働ができて、ぐっすり寝て起きて、静かに五十鈴川だよりを打てる、ただそのことに言い様のない喜びを覚える。
そしてこの7年のあいだに、今年の8月5日、私は4人目の孫に恵まれた。もし、私が年金生活のみであったなら、きっとこのような穏やかな高齢者生活は送れていない。そのことに思いをいたすとき、この労働アルバイトに巡り会えた事の幸運に、ただただ感謝するほかはない。
この間の、コロナ禍で世間が騒然としている四年前、次女は最初の子供をまさに命がけで生み、私は初めて大きな手術を短期間に3度も経験した。あの体験がやはり大きい。術後すでに4年がたちすっかり健康である。次女は今年二人め女の子が授かった。長女も2年前二人め女の子を授かった。いろいろな思いが去来する。
術後4年が経つ、70歳で企画を再開、私はもう年齢のことは忘れることにした。命が、体が動き、労働意欲がある間は、企画も続けることに決めたのである。すでに打ったことがあるのだが、年金生活だけでは企画はなせないし、よしんば幾ばくかのお金に恵まれていたとしても、体と心が連動しなければ、企画は生まれない。他の方はいざ知らず、私はそうである。
忌憚なく打つが、あくまでもギリギリのところで、基本、汗をながし稼いだお金で生作費を考える。これが楽しい。したがって高額なギャラが必要なアーティストは企画しない。アーティスト自身も土取さんのように、コマーシャルベースに重きを置かない活動を基本にされている、芸能者や音楽家を自ら探す。
企画者とアーティストは対等関係である。お金を有効に、大切に使うからこそ、必死になれるのである。もっと打てば、必死にならない、なれない企画は私にはできない、面白くない。きわめていい加減、わがままな企画者なのである。
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| 知の巨人から繰り返し学ぶ | 
40歳で企画をすることになったときに、実現できる目算があったわけでは毛頭なったのだが、実現したらお面白いだろう、というワクワク感だけが私を支えていた。あれから33年の歳月が経ってはいても、いまだかろうじてワクワク感がある。だから企画が成せる。
話は変わるが、私が孫たちに伝えたいことは、ただひとつである。生まれて来たのだから、健康に、一回個っきりの人生、自分がワクワクする時間を見つけて欲しい、ただそれだけである。あくまで自分のリズムで、体が気持ちのいい、没頭できる時間を過ごして欲しい、のだ。
そのためには、お爺である私が、労働であれ、音読であれ、企画であれ、何であれ、できるだけ愉しそうに存在している、お爺でありたいと念願(おも)うのである。

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