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2025-09-14

昨日、お昼を猪風来さんよし子さんとご一緒し、その後真庭のkさんを訪ねた日の、翌日の五十鈴川だより。

 昨日9日ぶりに猪風来さん、よし子さんを訪ねた。火急の用事があったわけではないのだが、野焼き祭りまであと一月をきったし、これから本番まで週末の土曜日はとりたてての用事はなくとも行くことにしたのである。

着いたのが11時半、早めの昼食を3人でゆっくりとする。対面すればお自ずと会話が自然に流れる。私の文章力ではお伝えできない悲しさなのだが、縄文末期から渡来人がやってきてからの、日本列島のそこかしこに棲んでいた、つまりは縄文人のあの長きにわたる、土偶や生活土器に象徴される穏やかで豊かな文化が、滅ぼされた。縄文人には所有するという概念がなかった、と。事実に基づいての貴重なお話に私は聞き入った。

(人類が破滅、死滅しかねないせとぎわを、戦後80年、世界は何とか生き延びてはいる。だが明日は、未知である。核弾頭を誇示し会う為政者がひきもきらない。老人の私にはまるで理解が及ばぬことがあまりにも多すぎる。もう十分過ぎるほどに、この惑星は悲鳴を上げているように私にはおもえる。気候変動で命の源、食物が脅かされることがないことを祈る。飢えが一番恐ろしい。

人類の歴史は殺戮の歴史でもある。私がもの心つく頃からも、戦争したがる為政者は一向に減らない。領土を広げ、資源を漁り、口実をつくり、宗教の相違、イデオロギーの相違、大義を掲げ、戦争をいまも繰り広げ、罪のない人まで殺戮し巻き込む。あらゆる命を育む、唯一無二の母なる大地、水の惑星を汚し続ける。命を生む水が汚染される。命はつながっているのに、現代物質文明は暴走を止めない。何故か。

プラスチックの目に見えない分子はめぐりめぐって食物連鎖、全人類の人体にはいりこむ。魚や肉をいただくどのような人間にも入り込む。一人の今を生きる愚かな人間の一人として、愚かな一歩間違ったら取り返しのつかない、この世にだけはしたくない、と、わたしは勝手に考える側にいる。

私は今まで十分に生きることができたが、これからをこそ、しっかりと生きなければならない、すべての人にとっての大切な未来、一番必要な物は食い物と水である。人類が生き延びるための母なるヒントが、あの長い縄文時代を生きた人々の叡知にはあるように想える)

ゆく度に、繰り返し聴いたお話しばかりではなく、新しいお話を聞くことにもなる。それが楽しい。無知な私にはすべてが新鮮なのである。ふだん余計なことには一切口を挟まないよし子さんが、時おり会話に入ってくる。それもまた新鮮である。表裏一体、一心同体の二卵性双生児のようなご夫婦である。

気になっていた観客席作りのことなどもクリアされていた。追加のフライヤーも届いていた。よし子さんが500グラム量れる量計で、てきぱき用意してくれた300枚のフライヤーを預かった。

別れ際、原野さんが10歳の時に書いた貴重な岩手県への旅行記をお借りし、午後一時に猪風来美術館を後にし、その足で真庭の落合に向った。8月のフライヤー配布でパンクした際に大変ご迷惑をかけ、お世話になったkさんを訪ね、一言御礼を伝えたかったからである。

それにしても、あのような奇特なご仁に、災い転じて遇えるとは。世知辛い人の世で浴びた一陣の爽やかな風に私は心から癒された。お家がまた素晴らしい。離れに囲炉裏の空間があり、お茶でのおもてなし。まさにわびさび、賢者とはかくのごとしを実践されている稀人にわたしは助けられたのである。おん年80歳、あのように歳を重ねたいと私は意をつよくした。

バイト先で見つけた10センチ位の幼虫

時間がなく、ゆっくりとお話はかなわなかったが、私が運転出来る間は、年に一一度でもいいからお訪ねし、お顔にあやかりたいと思っている。別れ際、kさんは何と秋の猪風来さんのイベントをご夫婦で申し込んだと私に告げた。

嬉しい。単なる音楽会ではない、猪風来さんご夫婦の心血が込められた祈りの、集大成企画である。kさんご夫婦が来てくださる。動いたからのご褒美である。時間があったので、その足で真庭の農産物直売所と、 もう一ヶ所フライヤーを配布し、五時前に家に戻った。

ps 老成という有難い言葉がある。体が思うように動けなくなってきて、嫌でも死の気配のおとずれを意識するようになってきた。老いないと見えてこない、湧いてこない感覚、感情だとおもう。老醜ではなく老成感を少しでもあやかれるには、といったことを想う。ようやく森羅万象の小さな生物や植物の生態にも見いるようになってきた。

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