次女のところで、岡山での生活とはまったくことなった時間を過ごし、なんというのか時差ボケのような、まだ体のどこかに、あの孫と過ごした時間が濃厚に残っている。が、翌日から2日働いたので、ようよう普段にもどりつつある。
それにしてもいつまでも暑い、8泊9日三鷹の下連雀で過ごしたのだが、東京も暑いとはいえ、次女のマンションが快適だったし、用のないときはほとんどマンションの図書館で過ごし、夜は充分に寝ることが出来たので、事のほか体調がよい。体調が悪かったら、まず五十鈴川だよりを打とうという気にはならない。
東京では持参した3冊の本を、読むことが出来た。いちいち読んだ本のことを書いていない。(写真にアップしているのもあるが)この年齢になっても、本を読まねば、ますます知的好奇心は劣化してゆくとの、思いに駆られる。6月から既に3ヶ月以上の暑さが続いているが、チビリチビリ、本を読むことだけは持続している。
前回、今後は孫たちに読み聞かせるための絵本を探すという、新たな読書意欲が灯ったのも幸運である。五十鈴川だよりを打つことも、草刈りをすることも、音読をすることも、あらゆることに通低(私の場合)するのは、あまり気が進まなくても、とにかく始めるということである。
それくらい、私の体はいい加減である。そのことを私は知っている。何事もやっているうちに、自然に捗ってゆくということを老いつつも我が体は知っている。これは決して自慢話を打っているのではない(そう思われても、もう古稀をすぎているのだからまったくとんちゃくしない)。
18歳から世の中に出て、お金に不自由する暮らし、お金にはまったくといっていいほど、今もだが縁のないない生活をしている私である。だが、なんとか生きている。その秘密はたぶん、おかねが無くても、お金には依存しない、 身の丈に合う、ヤドカリのような、その日が何とはなしに、生活できれば良しとしようってな、くよくよしない能天気さが、私を救ってくれているように思う。
老いるにしたがって、目も耳もよわくなり、そうなると根気も、持続力も今後はすべては下り坂、初めて経験する未知のゾーンを日々生きるしかない。自然の摂理を生きるにしても、私なりの方法の様なものを見つけたいという、いわば一日でも長く前向きの姿勢で在りたいと願うのである。
さて、いきなり話は変わるが、明日は猪風来美術館 20周年記念特別企画、縄文野焼き祭りの記者会見が新見市役所で行われる。私も参加することになっている。この年で初めて経験する未知の記者会見、ちょっと緊張するが、仕方がない。
それもこれもヶセラセラ、猪風来さんと出遭ってしまったからである。猪風来さんは私の老いゆく体に、縄文の新鮮な風を吹き込む稀人である。昨年秋よもやまさかのお電話を頂いてこのようなことに成ろうとは、正直思いもしなかったが、事実は小説よりも奇なりである。
ps 今日の写真は2008年に求めた、この20年近く私が最も読んでいる佐藤優さんの本、新しい本ばかりではなく、繰り返し読んで学ばせて頂いている。無学、無知蒙昧、井の中の蛙を、今も思い知らされる。

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