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2025-09-01

次女のところ、下連雀で打つ8回目の五十鈴川だより。(最後の夜、葉に読んだケチャップマンの絵本で私は気づいた)

 昨日はあれからマンションのすぐそばの稲城の里山を男5人、暑い最中、朝9時15分に家を出て里山散策に出掛けた。汗だくになりながら、小さな藪虫に見舞われながら、葉とノアは時に気弱な声をあげながらも、約一時間の里山歩きを完遂した。周さんがカメラをもって、終始子供たちに声をかけ励まし、レイさんも冷静に子供たちが雀蜂ほかの危険を避けるための声かけも怠ることはなかった。

あの暑さの中の、午前中男だけでの3世代散策、いい思い出となった。里山からは大都市東京が一望に望める。終えて男5人ヤオコーというスーパーにたちより、昼食の買い物をして10階のお部屋にもどる。すでに長女と娘の未彩が帰ってきていた。ミアはパパっ子で一晩離れていただけなのにレイさんにあえて大喜びしていた。私とはずいぶん直接会ってはいなかったものの、リモートではよく顔をあわせていたので、ちょっとはにかんではいたものの、グータッチすると、さりげなく応じてくれた。

周さんが早速ソーメンをゆで、レイさんがテーブルを広げ、長女が加わり3人が、お昼の準備をてきぱきとやり、買ってきたお寿司やお惣菜、冷蔵庫の中の残りの食材で見事な食卓となり、7人での賑やかで楽しい昼食となった。私とレイさんだけが、糖質0のビールをいただいた。娘とミアと共に食事をするのは今回初めてだった。お昼からビールを頂き、私はまたもや、我が家族との、なかんずく孫たちとの食事時間、高齢者おじじは暫し感無量であったことを、臆面もなく打つことを、ご寛恕願いたい。

昼食後、ミア、葉とかくれんぼをして遊ぶ。このようなことを何度繰り返してもミアと葉は飽きずもう一回を繰り返す。マジに遊ぶことはお爺にはしんどいのだが、めったなことではないので、リクエストに応えた。娘やレイさんが声をかけてくれ、ようようお開きとなったが、またもやよき思い出となった。

ノアの2段ベッドで20分ほどお昼寝をし、午後2時過ぎ、周さんと葉と私は長女家族とお別れ(ミアはお昼寝していた)下連雀へ。京王線で千歳烏山へ。そこからバスで下連雀へ帰った。(周さんがお昼寝タイムで、葉が少しグズった。稲城のマンションから、あの暑さのなか、荷物と葉を背負って駅まで歩いた。電車のなかで葉はぐっすりとすぐに寝た)

絵本大好きお爺になりたい(葉ありがとう)

戻って一休みした後、私は娘に頼まれイナゲヤ(稲城やではない)といういつもゆくスーパーに買い物へ。戻ってお風呂をいただき、午後6時すぎいつものように夕食。

夕食は周さんがお好み焼きとスープを作ってくれた。お代わり(結局、1枚と4分の1食べた)をするほど美味しかった。レイさんも周さんも調理をこなす。洗濯掃除ほか育児分担は私などの世代とは、おもいもよらない。確実に女性の負担が減っている。

親として、どことはなしに娘たちが、平凡な幸せを共有しているのを、まの当たりにするのは嬉しい。慎ましさのなかに、お互いが労りああって生活しているのを、わずか一週間ではあれど共有体験出来たことは幸せである。

j上京する度に打っているのだが、老いたら、老いゆくなかで、娘たち家族のお役にたてるということが、一番肝要なのだと思う。あくまでもその上で、老いのなかでの企画というものがなせるのであれば、それに越したことはない、といったスタンスである。

さて、最後の夕食を終え、葉とトランプで7並べなどして遊んで、いよいよお寝むの時間がきた。そこへ娘がお爺が明日岡山に帰るので最後に本を読んでもらったらということになり、本を数冊もって(先日三鷹の図書館で私が選んできた本)いざ読み始めたら、なかなかに葉は集中して聞いてはくれない。

ところがその中のケチャップマンのお話し、鈴木のりたけさんの絵本にだけは持続的に大笑いをやめず、結果は同じ本を繰り返し数回、ときおり即興でのお話しも交え、読み聞かせたところ、結果満足して眠りに落ちてくれたのだが、わたしは何か大切なことを葉から示唆された気分になってしまった。

そのことを、いま縷々説明は不可能に近いが、簡単に言えば、私自身がとても絵本の魅力にはまってしまったということなのである。オーバーに言えば、生まれたばかりの風香、ミア、葉が小学校に上がるまでの時間の読み聞かせに、読み聞かせたいと思える本を、私自身がこれから見つけたいというテーマがみつかったのである。

私が一番好きで、得意な日本語音読、読み聞かせを先ずは自分の孫たちにやりたい、との想いが俄然わいてきたのである。その気付きを与えてくれたのだが、ケチャップマンの絵本であったことを五十鈴川だよりに打っておく。

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