ページ

2025-09-13

4ヵ月近く続いた酷暑の夏、肉体労働を持続しながら、乗り切った我が体に感謝する五十鈴川だより。

 5日も五十鈴川だよりを打たないとずいぶん打っていない気がする。すべてなるようにしかならない。五十鈴川は流れるようにしか流れない。泰然自若には程遠いが、わたしもまた自然に流れてゆきたい。(ある日突然五十鈴川だよりが打てなくなるまで)

学ばないと、当たり前、まずい。

今日から3連休である。嬉しい。ようやく朝夕涼しくなり油断はできないがほっとしている。この4ヵ月近く続いた 猛烈な暑さのこの夏を、この年齢で、我が体があの肉体労働をよくぞ乗り切ったくれたものである。古稀を過ぎてからは、毎年一年一年をしっかり生きる、との思いしか私にはない。

さて、今の労働、老いらくのアルバイトを66歳の夏から始めて、この夏の終わりで、まる7年が経った。

昨夜外で夕飯を妻としたのだが、よくこの夏を乗り切ったね、と労いの言葉をもらった。私は春夏秋冬、自分のやり方で任せられているこの労働バイトがことのほか気に入っている。

それは年間通してやることがあり、工夫しながらあれやこれややることが尽きないからである。つまりは面白いのである。だからきっと続いているのだ。

激しいあめのときはやらないが、少々の雨なら、炎天下よりもずっとはかどる。着かえる肌着をたくさん持参して着かえる。着かえた後の気持ち良さはやったものだけが味わえる。つまり、苦あれば楽ありである。何度か打っているが、このよう肉体労働の喜びのような感覚を体得したのはやはり富良野塾である。自分の人生で限界に近いところまで体と心を、青春のおわりに追い込まれ鍛えられた経験が今の私を支えている。

健康に体が動いてくれるからこそなのは言うまでもない。体に感謝。能天気にこのようなことを打てる在りがたさなのだが、夏の労働を乗りこえた(また一つ知恵がついた)ので、これから涼しくなる秋の労働は、きっと楽しい。企画をすることも草刈り他の労働も、限りなく私のなかでは連動している。

草取りを持続するには、スクワット、立ったり座ったり足腰が、老人の我が体の筋力が鍛えられる。いつまでこのバイトが続けられるのかはわからないが、ハッキリとわかっているのは、出来なくなるその日まではやる、ということだけである。

10日も労働をやらないでいると、筋力はよわまる。体は正直である。相撲で言うところの三年先を見据えて、1日1日を怠らない暮らしを、(老いの稽古を持続)臆面もなく打つが古稀を過ぎてからは、なんとか実践している。AIに聞けば、いろんなことを教えてくれるだろうが、教えてもらったことを、実践するのはあくまでも自分の体である。


0 件のコメント:

コメントを投稿