キィーボードをコーヒーで濡らして使えなくしてしまったので、金曜日から3日連続画面に直接打っている。まだ慣れず時間はかかるが、慣れればキーボードは不要になるので、このまま画面に直接打つ訓練を続けることにした。
ところで、同年齢の他の方はいざ知らず、当たり前だが老眼が進み、運転には眼鏡は必要ないのだが、本を読むのには必須である。老眼鏡さえあれば、今のところまったく生活には支障がない。が、確実に眼は衰える。眼だけではなく肉体のあらゆる機能が上向くことはない。冷厳な摂理である。だが、その事への心の配慮はできるだけ先伸ばしにしたい、というのがいまの私の心境である。(現状維持、今日やれたことを明日もやる)
今日、今やれることにのみ集中して(よく休みながら)1日を過ごす、その事にのみ重きを置いて生活することにしか、志行、思考しないように心かけている。
ある日突然のアクシデントが起こるのが、人生の摂理と受けとめ、その時に対処(出来るだけ受け入れる)するためにも、今日を悔いなく生きることが肝要なのだと、我が身にいいきかせる。
話は変わる。この2日10時間近く良く睡眠をとったおかげで、夏の疲労が取れたのか、今朝はすこぶる体が軽く感じられる。日中は今だ暑いが、朝夕はいいくぶんしのぎやすくなってきた。
さて、いよいよ猪風来さんの10月12日の縄文野焼き祭りまで、一月とちょっとに、迫ってきた。
野焼き祭り実行委員会の一人として、無い袖は触れないし、やれることしかやれないのだが、出来るだけやれることをやって当日を迎えたいのだ。来週から、土曜か日曜の1日、毎週末猪風来美術館に行こうと思う。
そのために考えたのだが、五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方で、ボランティアしてくださるかたが、(もし一緒に行ってくださる方が)いればありがたい、のである。募りたい。ただそれを思い付いたので打つ。(直接ご連絡いただけると嬉しい)
私ひとりでも行けば、なにがしかの事は出来る。片付け、草刈り、などなど、動けば老人であれ、祭りの一員になれる。私は縄文野焼き祭りに参加し、その一員になりたいのである。うまくは言えないのだが、猪風来さんからのお声かけをいただいてから、いわく言いがたい老いの情動の発露が、猪風来縄文の風が、微風が私の体を吹き抜けるのである。
この爽やかな縄文の風は、これから先の老いゆく我が道程を、照らし導いてくれる確信がある。その事が私を美術館に向かわせる。
ps 縄文野焼き祭りをお祝いすべく、250人の参加を実行委員会の一人として、達成したい。
猪風来美術館の案内をありがとうございました。ご連絡が遅くなり、申し訳ありません。当日、新見まで行くことはかないませんが、ご盛会をお祈りしております。
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