今日は午前中仕事をしてきたので、いくぶん普段の生活に戻ったのだが、帰省旅の続きを打っておきたい。
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上野原遺跡の近くから眺めた日没 |
さて22日土曜日、我が友K京ちゃんは、ぴったりに午後3時に兄の家にやってきた。午前10時に鹿児島の隼人を出て、一般道や高速を走っておおよそ5時間かけてわざわざやって来てくれた。今年の初夏、兄と二人で京ちゃんを訪ねたことで、京ちゃんもわずか一回しかあったことがない兄の家に、一泊泊まりがけで来てくれたのである。その折のことは五十鈴川だよりに書いている。
その時の楽しい思い出がなかったら、このような年に二度もの会瀬は実現しなかったであろう。兄のある種自然体の雰囲気が、京ちゃんも自然体快男児なので、きっとうまがあったのかもしれない。ともあれ京ちゃんは遠路やってきた。冬の日は早く沈む。
挨拶もそこそこに、兄の運転で、門川および日向を駆け足でドライブ。細島の米山頂上から、日向市門川、遠く延岡まで見渡せるところまでゆく。少し雲があったがよき眺めを3人で見ることができた。なんと延岡には虹が雲間から覗いていて、辛うじて記念撮影に収まることができた。日が沈む前、五十鈴川のほとりも案内することができて、私は満足であった。
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飫肥の服部屋敷での京ちゃん |
戻って隣にすむ姉にも京ちゃんを紹介することができた。京ちゃんは、たくさんのお土産を持参してくれてきていて、姉にもおすそわけをしたら、姉がことのほか喜んでくれたのが私には嬉しかった。友遠方より来る。兄が懐かしい七輪で火を起こし外で手羽を焼く。
外は寒いので充分に火が起こったところで、七輪を家のなかの廊下にいれ、車座になってバーベキュー。
乾杯の後、ひとしきり焼いた手羽や野菜をいただき、バーベキューを終え、椅子とテーブル席で登紀子さんがお刺身その他の家庭料理で京ちゃんをもてなした。京ちゃんはなにもかも美味しい美味しいと頬張り、もてなした兄と登紀子さんも、普段の生活ではお目にかかれないキャラである京さんの来訪を楽しんでいた風であった。
ひとしきり夕食が終わってからも、京ちゃんと登紀子さんが台所で話し込んでいたのには、ちょっと驚いたが、これもまた京さんの人柄だろう。午後10時、私はすっかり眠くなって早々に寝んだが、京ちゃんと兄は遅くまで起きて話していた、(らしい)。事実をだけを順に書いておくだけでも、細部を書きたくなるほどである。
翌22日、最後の朝食は純和風、登紀子さんの納豆お味噌汁海苔他、美味しくいただき、朝9時兄夫婦が見送ってくれるなか、京ちゃんとの二人旅に出発。私の先祖の宇納間の神社を目指す。門川から35キロ五十鈴川を源流に向かって遡ったところである。
狭い蛇行した道をひたすら走った突き当たりに宇納間神社はあり、10時前人っ気は全くなく、私と京ちゃんは正面から300段はある階段を登って、お参りした。そこからの収穫を終えた冬の棚だのご先祖の風景を眺められただけで、もうこれで今回の帰省旅言うことはなし。お墓参りとご先祖の神社参り。言うことなし、新年が迎えられる。
宇納間から日向に出てそこから高速、途中都農辺りのサービスエリアでコーヒーブレイク。一路帰省してもあまりゆくことのない日南市の私の好きな飫肥という城下町を訪ねる。着いたのが午後一時近く、服部屋敷、豪商がすんでいたお屋敷を京ちゃんが見つけたところでランチ。これが大当たり、建物の雰囲気といい、部屋から眺めるお庭の景色が抜群で、まさに日本建築の粋が凝縮したような建物での初老男の再会ランチ。一時を回っていたのですぐに我々二人きりになり、ゆっくりといただいた。デザート、締めの抹茶が格別においしかった。
食後、飫肥城跡を少し散策して、一路志布志を抜け鹿児島へ。上野原の縄文遺跡を駆け足で、京さんの説明を聞き、そこから歩いて夕闇迫る、桜島を望む絶景ポイントへ。日が沈む直前間に合った。錦江湾に浮かぶ桜島はまさに雄大そのもの。火山の爆発の灰で上野原の縄文遺跡は埋まったのだ。人は移動する。旅をする。何故かわからないから旅をして、暫し自分自身と対話を大昔からしてきたのだろう。
旅の締め括り、上野原の縄文遺跡から眺めた桜島の雄大な風景、決して忘れることはないだろう、NavigatorK京ちゃんとの一期一会二人旅、宇納間、飫肥、そして上野原縄文遺跡。書いていると、何か大いなるものかが、ルートを決めてくれたのではないこと思えるほど鮮やかな一日の終わり。冷えたからだを暖める。
夏の旅でも行った岩戸温泉に直行。ここの湯は源泉かけ流しで、なんと400円、すっかり暖まり、京さんの家で荷をおろし、マンションから歩いて3分のところにある、前回もお世話になった京さん行きつけのお店で、最後の夕食。京さんはそのお店で知り合った3人の女性(自分の娘さんたちよりも、年上年下の)たちにも慕われていた。人徳である。なんと12時近くまで楽しい語らい時間をすごし、戻って忽ちのうちに横になった。
この日、昼夜、京さんはおおもてなししてくれた。私はお言葉に甘えた。お互い30代半ば、岐阜県郡上八幡に1984年、桃山晴衣さんと土取利行さんが創った(建てた)芸能堂、立光学舎のワークショップで出会って以来、関係性が続いている希な友人である。(ありがとう、多謝)
門川から鹿児島への旅、至福の時間でした。
返信削除ご一緒出来て良かったです。
門川の御兄弟にはお世話になりました。そして、楽しい時間でした🎶
来年はスパイラルアームズでお会いしましょう!