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2024-12-23

2024年の瀬、帰省旅五十鈴川だより1。

 4泊5日のふるさと帰省旅を終え、帰ってきました。体は家に戻ってきたとはいえ、私は人間、心と体は今だふるさとおよび、友人京ちゃんと土曜朝から日曜日夕刻までの、旅の中の旅のなかで目にした様々な風景が体を包んでいます。が、できる限り、新鮮な打ちに少しでも五十鈴川だよりに記録としての旅の徒然を打っておかねばと思う私です。

お墓の前での兄78歳

19日九時に岡山を発ち、小倉で日豊線に乗り換え、午後2時半日向市駅に着いた。腎臓癌を宣告されたのが丸3年前、しかもステージ4、が兄は、その後もしぶとく生きていて私を迎えに来ていた。お昼がまだだったので、夕飯前ではあったが、懐かしの天領うどん(380円)を軽くいただき兄の家に。いつものように登紀子さんが暖かく迎えてくれた。荷物をおろし着かえ門川の温泉がお休みだったので、延岡まで兄と二人でお湯に浸かりにゆく。戻って義理の姉が用意してくれた手料理での夕食をいつものように美味しくいただく。毎回同じようなことを帰省する度に書いているように思うがご勘弁、いいのである。

次兄が大分の海まで行って釣ってきたというミズイカのお刺身、煮付けが絶品で、これぞふるさとの味、というほかはなく、いつも帰省の度にこのような心尽くしの手料理をいただける我が身の幸運を今回も噛み締める。

翌日、20日金曜日朝食後少しお休みして兄と二人でお墓参りとお墓の掃除にゆく。うちのお墓には屋根がついているので、お部屋のなかを丁寧に掃いてから雑巾で拭いた。お墓の回りのごみもきれいに掃いて一応きれいにはなったのだが、長年の間に少しずつよそから土が流れ込みコンクリートにこびりついていて掃いてもとれない。水道はそばにあるのだがホースが短いので、明日もう一度来てやることにした。戻って姉の家に実っているレモンを収穫、岡山のお土産にいただいたた。お天気が良かったので義理の兄も外に出てきて日を浴び、庭で楽しい雑談ができて私は嬉しかった。

義理の姉のおもてなし

お昼は門川で兄や姉がよく利用しているお寿司屋さんに姉夫婦、兄夫婦私高齢者5人で出掛けた。義理の兄は84才、姉はまもなく81才、もう年齢的に、この面々での外での昼食は貴重なので、私はきちっと写真を撮った。兄夫婦姉夫婦がご馳走してくれた。午後は兄の家でノンビリ持参した本を読む。

夕刻門川の心の杜温泉に兄と行く。温泉から子供の頃よく行った門川湾に浮かぶ乙島の夕日を眺める。寂れ寂れた我がふるさとではあるが、私の人生のすべて、人間がつくったもの以外、自然はかなり手つかずで残っている。だから私は還るのである。夕飯はいつものように登紀子さんのお世話になった。

21日、いいお天気が続いていて、この日も抜群のお天気で風もない。朝食後午前9時過ぎ、門川のK水産にお土産用の干物を買いに行き、そこから岡山の自宅に送った。戻って長靴に履き替え、昨日に続いてお墓に行き、長いホースで水を流しながらデッキブラシや草をこ削ぎ採る道具で土を削り、排水溝に流し込む。兄よりは6才若い私が主に動いたのだが、兄も要所要所をこまめに動いてくれた。

高齢者二人でのお墓掃除、普段から肉体労働に従事している強み、なんなくやれた。業者に頼まずにやれたこと、兄と二人でやれたことが、意味もなく楽しく嬉しかった。お墓を守るのは田舎では長男の仕事である。兄の手伝いをしたので、義理の姉がさりげなく喜んでくれたのも嬉しかった。美味しい手料理を毎回いただいているのだから、これくらいしないとバチが当たる。見違えるほどお墓はきれいになった。これで新しい年が迎えられる。気分さっぱりお墓をあとにした。

お昼前、姉がやって来て暫し兄の家の芝生の庭に椅子を持ち出して日光浴、暫し歓談し、お昼は兄と私の二人で門川の小さな店で、チャンポンを食べた。私はチャンポンが大好きである。午後少しお昼ね。午後3時、鹿児島に仕事で赴任している出会って37年の我が友人K、京ちゃんが、車でわざわざ兄の家まで私に会いに来てくれた。(この続きは次回の五十鈴川だよりで打ちます、本日はこれまで)


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