師走も半ばすっかり日の出が遅くなっているが、目が覚めラジオを聴きながら、床から出る時間が5時、まだ暗い。昔若い頃は暗いのが苦手だった。だが今は違う、暗闇のなかでゆっくりと老人は目覚める。そしてゆっくりと一日をはじめる。もうそのような生活を確実に66才からは続けている。古稀を過ぎてからは、自分で言うのもなんだが、一日を慈しんでの生活を心かけている。
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旅のお供はこの本である |
体を使うパートタイム労働を72才の今も続けている。コロナで人との対話が制限されたときにも、人とは話をしない草を刈ったり、剪定したりり相手が自然であったので、ただただ体を動かしていれば時は過ぎ、人とは話せないが、空を眺め植物を眺め、日々移り変わる四季のなかでの、老い労働を私はひたすら面白がることだけ考えながら過ごしていた。体を動かせる仕事にどれ程身も心も救われたかわからない。
そうこうするうち、コロナは下火となり、今ではほとんどニュースにもならない。ことほどさように、日々生きるのに精一杯、私などもすぐに忘れがちの、まさに老人生活を生きている。あの夏の狂おしいほどの暑さなども、今は冬、実感にはほど遠い。
夜9時以降は、ニュースほかほとんど見ないので、ますます時代、世相、流行、つまりは世間とのずれはいかんともしがたい。がほとんど生きてゆく上でなんの問題もない。新しい情報よりも古い情報、大昔に書かれた本や、昔のことについて書かれた本等を読んでいる時間の方が、今の私にとっては有益かつ新しい。労働し生活し、ほかにもやりたいことがあるので、あっという間に週末がやってくる。主に土曜日曜日に、今週はこのように過ごしていたのだという、生活日録的な徒然を五十鈴川だよりに打つ、といった案配。
話を変える。来週金曜日からお墓参りに帰省することにした。偶さかの充電お墓参り帰省旅をしないと、やはりなにかが落ち着かない。五十鈴川のほとりの寂れた、幼少期の思いでの、自分のすべてとも言ってもいい感性を育んでくれた山里の場と空間に身を浸したい。人工的なものがなにもない自然だけの物言わぬ、五十鈴川のほとりを散策したいだけである。
幼少期をともに過ごした姉や兄との、折々の再会時間も、この数年毎回一期一会悔いなくとの想いでいる。しかし幸い兄も姉も、しぶとく生きていてその事が、私にはかけがえがなく嬉しく喜ばしいことなのである。理屈抜き門川弁で語り合える一時、私は素っ裸になる。
家族は諸悪の根元とか、兄弟は他人の始まりとか、世間には悲惨この上ない家族があまた存在する。が私にとっては幼少期をともに苦楽した、特に上の姉兄は、私が18才から世の中に出て全く別世界を旅した人生とは異なる、門川でほとんどの時間をすごし、いわゆるごく普通の庶民的な人生を全うして現在を穏やかに生活している。私とは対照的な人生ではあったのに、毎回暖かく迎えてくれる。年に数回、安心して帰ってゆく場所、帰れる場所があるということのありがたさは、例えようもない。
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