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2024-12-19

我がふるさとへ還る(帰る)日の朝の、寸暇五十鈴川だより。

 今日から4泊5日、門川に帰る日の朝である。五十鈴川だよりを書きはじめて、折々の帰省旅を徒然打っているはずだから、もうずいぶん毎回打っているはずだとおもうけれど、読み返したことはない。ただ確実に、私も姉兄も確実に年を重ねてはいるから、この数年は縁起が悪くても、悔いのない時間を兄や姉と過ごしたい。

今原文を書写している

昔のように、ふるさとのあちらこちらを訪ねたりということは少なくなってきて、ただお茶をのみ、幼かりしの思い出を語り合ったりすることの方が多くなってきた。その為だけに、心から会いたいとおもう姉や兄の存在、またこのようなことを臆面もなく綴れる自分の能天気さにも、どこか照れてしまうが、もう古稀を十二分に過ぎたお爺さんなのであるから、と自らに言い聞かせる。

たった一度限りの人生なのである。悔いなく人生を、できることなら全うしたい。まっとうにいきるとはとは、どういうことなのか判然としないし、まああまり深くは理解してはいない私だが、物欲にとらわれず、この世で出会えたわずかな(家族を含め)ご縁のあったかたたちと、気持ちのいい時間を過ごす、といったことくらいである。

それとやはりこれは決定的に老いたからこそ深まる、目に見えないものにこそ耳を澄ませられるというような感覚である。養老孟司先生がおっしゃっていたと記憶するが、子供が何故自殺してはいけないのと訊ねたとき、それは君の体は君が創ったものではないからだよ、と答えられていた。

まさに自分がこの世に、何故か五十鈴川のほとりに生を受けたのは、きっとおおいなるもののが、風のように運んで来たからだと、理解しているからなのである。命が授かり、いま何はともあれ穏やかに生き動いて原点帰り、五十鈴川のそばの門川の姉や兄の家に(となり同士)、旅人感覚でお墓参りがてら、帰れる、ということの幸運さを噛み締める。

人は親を選べず、時代も選べない。この世という修羅場にある日突然生を授かる。運気を強くするためには、やはり努力しないと、運気は授からないという厳しさを覚悟した、頃から私の場合、人生が上向いてきたように思える。思えば富良野塾を卒塾した34才頃から、ようやく生きていることが面白くなってきたように思える。

田舎から東京に出て、ふわふわと自信のない人生をおくっていた私が、何とかこの年齢までいきることができたのは、あのふるさとの両親のお陰、姉や兄たちのお陰なのであると、ようやくにして思い知る。孝行したいときには親はなしという。ならば一番上の姉(9才年上)や長男(二人とも北朝鮮からの引き上げ者)が元気な打ちに少しでも孝行を少しでもしておきたいとおもう。

20代、腰の定まらない生き方をしていた私に、姉は当時よくお小遣いをくれたものである。姉のあのおおらかさは、もって生まれた気質。大陸生まれの感性だとおもう。いずれにせよ、年の瀬、姉や兄、義理の姉の顔を見に本能のままに帰る。老いた弟は一時少年に還る。

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