昨日夕方日没前、運動公園にルーティンに出掛けたら、東の空に出たばかりの白い大きくまあるい月が浮かんでいた。三鷹に住む義理の息子の周さん同じ頃ベランダから眺めている月の写真が送られてきていたのを、今朝知った。
世代も育った環境もまるで異なるが,、私の娘たちの旦那さん二人とは、よき関係性がいい感じで保たれていることに、いいようのない喜びのようなものを感じてしまうのは、報道や身近なニュースで家族のありように関して痛ましさを覚えるような事例が枚挙にいとまがないくらい溢れかえっているからである。
【砲弾が・トラウマを生む・ウクライナ】 |
だからといって、私にはなすすべもないのだが、せめて自分の家族(自分に家族があり、自分に3人の孫がいる、その事がいまだ信じられないくらいの、小さな幸福感に満たされている)とは、風通しのいい関係性でありたいというおもいが強いからである。
血縁の繋がり、たまたま我が家に生まれたがために、家族としての時間を共有し、積み重ねてきた関係性の強さ、思いでの記憶の集合、その絶対性が私にとってのかけがえのない家族である。言葉には置換できないほど密な関係性、それが私の家族ある。
民族、歴史、言葉は異なるがヒトは本能的に家族を持つ。ウクライナでは終わり無き不毛な戦争がいまだ続き、時おり目を背けたくなるような映像が飛び込んでくる。もう打つのも嫌なのだが、平和を享受していきられる側にいるものとして、あえて打つ。
もし自分がいきなり理不尽な事態で家族の誰かがいなくなったとしたら、どのような心理状態におかれるのだろうかという、内なる問いに対する想像力である。その問いに対する答えはようとしてわからない。きっと経験したものにしか関知し得ない(と思う)。
だから想像しない、無関心というのは、私の場合家族を持ったがためにもはやあり得ないのである。もう高齢者である私には思考する時間は限られている、思考が、ささやかであれ企画となってアクションを生むのであれば、年齢は言わず、わすれ、思考したいのである。思考しないとアクションは生まれず、企画も生まれないからである。
このような事を打つのは、先日真夜中のラジオでウクライナからの現地に住む日本人のかたからのリポートに胸が痛んだからである。たまたま自分は生き延びたが、そばで兄が爆弾を浴び即死し、以来そのトラウマをいきている子供のことなど、あまりの不条理に暗然とし目が覚めたからである。
高齢者ではあるが、ささやかではあれ傍観者ではありたくないという想いが消えない。かといって身の程を越えたアクションは苦手である。生成流転ならば、地上(ここ)から月のエネルギーを浴びながら思考をめぐらさねばと祈るのである。やがてはあらゆる感覚が高齢で麻痺してしまうのは致し方ない、がいまはまだ辛うじて痛みに感応する何かがあるのだから、思考しアクションを起こさねばと念う。
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