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2023-06-10

親友K氏とかそけき友人I氏との関係性、豊かさとは幸福とはなにかに想いを馳せる梅雨の朝。

 木曜日、予定より一日早く東京から妻が帰ってきた。妻不在で10日ひとりで生活したのは初めてである。いずれも孫が生まれたときに過去2度上京しているが、一週間であった。それより少し長かったにだけなのだが、私があれから二つ年を重ね、古希を過ぎていることもあって、この10日間はある種の思いを巡らすには、よい時間であった。




その思いのいちいちを記すことは、やぼったく気恥ずかしくとてもではないが、ボケが近いのではないかと思われるといけないので、五十鈴川だよりであれ打たない。私は打てることしか絶対的に打てない。ヒトはそれぞれに秘密を抱えて生きるのが、いいのだとの側に私は立つ。

もっと打つなら、秘密を抱えてたんたんと必死に前向きに、体をはって生きているヒトに私は引かれる。安全なところに居てのうのうと生きていられる御仁にはとんと魅力を私は感じない。

さて。話は変わるが私が肉体労働アルバイトをしている先の菜園場で、これまでで初めてと言っていいほど、見事な玉ねぎを収穫した。その玉ねぎを4月の私の企画でお世話になったかたたちに(遠方にすんでいて観にこれなかかったにもかかわらず支援してくれた)少量ではあるが送っている。

まず、我が長い付き合いの親友K氏に送った。と、なんと彼も家庭菜園をやっていて、お孫さんたちと収穫したという見事なじゃが芋がすぐ折り返し届いたのである。今日はそのジャガイモと私の育てた玉ねぎをふんだんに使って、カレーを作るつもりである。

香川に住む大切な14才年下の友人、I氏にも送った。そのことで偶然氏のお誕生日を知ることになった。素敵な奥さまの玉ねぎをまるごと一個使った見事なお料理写真が送られてきた。私は心がほんわかした。そのほんわか感覚は、君子の交わりの深入りしない、長い関係性お付き合いのなかで培われたものである。

I氏から送られてきたお料理写真



K氏からのチキン玉葱ジャガイモオープン料理

K氏とは45年、I氏とは27年の交遊である。日常での交遊はほとんどない、非日常交遊。

だが、私がなにかことを起こすとき、特にこの2年間の企画では物心両面でいの一番に支援してくださる。まさにかけがえのない人徳を備えた人間なのである。(鳥取のM氏もその一人)

そして私は想うのである。この年齢でこのような交遊が持続継続できていることの、言葉には尽くせぬ有り難さを。そしてその嬉しき有り難さ感覚を言葉でもって五十鈴川だよりに打たずに入られない絶対矛盾的な私なのである。

先日写真をアップした福岡伸一先生の動的平衡論に私は深くうなずく。ゆく川の流れはもとの水にあらず、よどみに浮かぶ(私は)うたかた、消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし、なのである。

日々、私は消え、日々私は甦る。老いゆく今も生成流転、生滅を繰り返しながら生きている。しかし関係性が途切れず流れてゆくことの不思議、奇跡性を想うのである。こういう関係性が在るということが、現在の私の宝、贅沢な心境なのである。(食べ物は本当に大切である)


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