ほとんど雨が上がっていたので、ルーティンのわずかな時間だが裸足散歩と、懸垂をやって五十鈴川だよりを打つために家に戻ってきた。日曜日の朝の運動公園は、小雨もまだぱらついていたので、運動場には誰もいなかった。
だあれもいない運動場で、早朝裸足でひとり散歩をするのは、誠にもって気持ちがいい。そう、気持ちがいいことしか、可能ならもうやりたくない、というような気持ちが強くなってきている。時間は有限であるということを痛く実感するからである。
多嘉良カナさんの企画を終えてからは、良い意味でますます自然体になって、気持ちよく持続できることにのみ、エネルギーを燃やしたいのである。基本的な家族との日々の暮らし、生活を基点にしながら、音読や企画をやりたいのである。まずは何よりも基本的な生活をし、体調を整えたうえで、体が喜ぶことを自由自在にやりたい。草取り(ますます好きになってきた)をする企画者でありたい。
親友K氏から送られてきた素敵な小鉢 |
そしてそんな私を理解してくださる、これまでで会えた友人や仲間との関係性が深められてゆけるような企画を実現したいのである。
多嘉良カナさんの企画は、桑江純子さんというオリジナルの沖縄人形劇(沖縄の歴史に深く根差した妖精や芸能者が活躍する、もちろん人形は手作り、この人形が素晴らしい)の尊敬する方との出会いなくしてはあり得なかった。
無謀にも非力を省みず多嘉良カナさんの企画が実現したのは、これまでの人生で私の企画を支援してくださるかたたちの存在があったればこそである。
私は高邁な理念があって企画してるのでは全くない。なにか私の琴線にふれたり、未知のこれまで出会あったことのない人間のオーラを感じ、自分自身がビックりし、偶々出会えたことを寿ぎ感謝し、企画してきたのがほとんどである。
理屈を語る言葉は持たないが、実現しているのが自分でも不思議な位なのである。ごく普通に生活しながら、あくまで生活力をバネにして今後も未知の企画できれば、と願うだけなのである。ただ言えるのはやりたいと心から願えば叶ってきたという事実である。
そういう意味では、私はふわふわした企画者ではないつもりである。軽い企画者では在るが、どこかリアリストでないと企画は叶わない。労力も金銭も絡むのだから。本当に企画したいのか、かどうかが問題なのである。
無理をしてもろくなことにはならない。あくまで私自身の心と体が喜ばないことはやりたくもないしできないのである。たまたま10年ぶりに、能楽堂ホールで2年連続企画をすることが実現したが、今後のことは全く白紙である。
とは言うものの、桑江純子さんの夫くんであられる桑江良健さんは画家である。絵のことには全く門外漢の私である。絵の個展は企画したことがない。(我が家以外では)だが、桑江良健さんの個展は、年内か余裕をもって来年春には企画したい。
何故か。言葉は不要である。人間が、絵が素晴らしいと私が感じルからである。
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