昨日とはうって変わった素晴らしいお天気で、すっかりいい気分で朝の光を浴び、掃除洗濯買い物、朝食を済ませての五十鈴川だよりタイムである。報道によると、新幹線が運休していたり、エリアによってこうも違うのが、何やら申し訳ないくらいのお天気である。
ささやかな我が家の新緑の葉が陽光に映えている様は、限りなく目にしみこんで優しい。アジサイの花がほころんできている。歳とともに我が家の庭の花ばなに、なんとはなしに目が向かう。お天気次第でこうも気分が変わるのだから、いいかげんなもの(わたし)である。
妻が育てたハイビスカス |
妻に水やりを頼まれている花もあるので嫌でも庭の細部に目がゆくのである。愛でるひとときの味わいは老いの幸徳である。陽光に映える庭を眺めながら飲む休日珈琲タイムは至福である。こういうことを臆面も打てることこそが、平凡な幸せなのだろうと感じ入る。
ささやかな自分の拠点、居場所で誰にも気兼ねせず穏やかな気持ちで過ごせるということのなんという有り難さ、妻は不在だが猫の花と犬のメルが絶えずそばにいるのでひとりぼっちという気がしない。そばにはいないが、妻からはメールが入るので、それもまたよしである。
妻不在でまる5日があっという間に過ぎた。妻が普段の生活でいかにあれやこれやの事をこなしているのかが実によくわかる。この際私は自省して生活雑事を楽しむようにやっている。
話は変わるが、通販大手で知らない人はいないと想うが、ジャパネットたかたの創業者のお話を、先日たまたま早朝(朝4時からの)寝床で聞いていて感動した。私よりも3才年上だが、そのあまりの語り口の若々しさに一驚した。(いいお話を聞くと気分爽快で目覚める)
いちいちはとてもではないが記せないが、一つだけ。パッション・ミッション・アクション、3つが自分には必要だとおっしゃっていた。情熱・使命感・実践の3つである。経済人なので凡ぷの私には理解の及ばないところがあるにもせよ、その後ろを振り返らない、数々の試練困難をひたすら前向きに思考する感性力、行動力に脱帽したのである。
どんなことでもいい、自分を伸ばす力をいくつになっても養う面白がる精神力は、特別な才能とかではなくどのようなヒトにだって与えらていると、信じる側に立つ私としては大いに勇気づけられるお話で、感動した。
ようは自分を信じられるか信じないのか。私のようなものでもこの歳までなんとか平凡に世渡りできてきたのは、比較するのもおこがましいが、感動するバネを見失わないように、自分を信じて決断し、振り返る暇を惜しんで前を向いて歩んできたからだ。(と思う)
早起きは3文の徳という。亡き母が、晩年NHKのラジオ深夜便を聞いていた。私もそのような年齢になり昨年暮れから、特に朝4時からの明日への言葉や、いろんな分野でひとつの時代を築いた方がたのインタビューを聴くように心かけているのだが、実践に裏付けられているヒトの言葉は、やはり素晴らしい。ただで知的活力がいただける。
言霊、言葉の刺激を受ける、共振する体がある間は、老いの伸びしろがあるのだと勝手に思うことにしている。生きてみずみずしい言葉を浴び、体のセンサーを磨かなくては。【梅雨の朝・陽光きらめき・カタツムリ】
0 件のコメント:
コメントを投稿