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2023-06-02

【五月雨を・聴きつつ想う・老いの旅路】珍しい梅雨夕刻の五十鈴川だより。

 台風が近づき、いつもより早く梅雨入りしはや6月、今も小雨が降っている。今日は終日雨だったが、午前中仕事にゆき、2時間ちかくカッパを着て草刈りをした。このような雨の中、この年齢で草を刈るなんてことは妻がいたら、まずやめなさいと言われるのは承知している。だが妻は今週月曜日から娘の所に上京しているので不在なので、一寸迷ったが気分転換に汗をかきたくて出掛けたのである。

文章が素晴らしい

トレーニングのつもりだったので、10時過ぎには帰ってきた。妻が不在ということは当たり前だが、日常雑事をすべてひとりでこなさないといけない。

買い物掃除洗濯、メル散歩、自分のご飯など、一日は瞬く間にすぎてゆく。すべてにおいてルーティン的にやることがまずあるというのがいい。それをやってから自分の好きなことを大事に集中してやる。時間は有限である。

古希を過ぎて、自分で言うのもなんだが、以前にもまして一日一日を大事に丁寧に過ごすようになってきた。60代それなりに悔いなく生活できたので、70代はいよいよ晩年の黄金期ってなな塩梅で過ごしたいと、切に想うのである。

雨の中の草刈り、梅雨のうっとうしさをまるで歌の文句のように、孫がピッチピッチチャップチャップと雨を楽しむように、自分もまた遊びたかったというのが、本音である。

お昼を手頃な感覚で、暖かい肉野菜そばを作り、昼食後お昼寝、夕方雨が小降りになったので、運動公園にゆき、雨の中傘も差さず懸垂と裸足散歩。さすがに裸足で雨に濡れながら散歩しているのは私しかいなかったが、実に気持ちのいい裸足散歩、わずか15分程度なのだが実に気持ちがよかった。

今も足の裏がじんじんしているのは、血行がよくなった証拠である。懸垂は70才で始めてまる8ヶ月だが5回以上できるようになったが、これ以上は無理をしないで2日に一回程度続けようとだけ思っている。この5年間で私は3人の孫たちに巡り会えたのだが、つくづくおもう、いいこともよくないことも、一寸先の未来は何度も書いているが、未知との遭遇なのである。

そういう意味では極めて個人的なことではあるが、ささやかな慶賀が我が人生の下り坂に起きていることを、素直に私は天に感謝し、雨の中草刈りしながら、雨の中裸足で散歩しながら、いまを生きる一日を噛み締めるのである。

上京中の妻から時おりメールが入る。時おりちょっと離れて生活することで、お互いを新鮮に再確認、再認識できる。これ以上野暮なことは控える。自立した老人黄金期が過ごせるか否か、まずは老人生活の自立の基礎ができてもいないのに、企画をするなんてことは慎まねばという自戒の念が深まる。

世阿弥は離見の見という言葉を残している。【五月雨を・聴きつつ想う・老いの旅路(みち)】

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