術後退院し、肉体労働アルバイトに復帰して2カ月以上が過ぎた。退院して2週間もたっておらず、ちょっと早い気がしたが、お医者様が半日無理のない程度なら構わないといってくださったので体を動かすことにしたのである。
結果はやはり肉体労働アルバイトに、早く復帰したのが よかったのだと思う。手術前とほとんど変わらない程度には体が動かせるようになっている。三日連続して五十鈴川だよりが書ける、気力体力があれば、一応 ほぼ完全に以前の躰に戻った、とおもえる。ありがたいというほかはない。
ところで、五十鈴川だよりはほとんど休日か、雨の日の午前中、それも起きてさほど時間が経っていない午前中に書いていることが多いので、平日の午前中にはほとんど五十鈴川だよりは書いていない。(と思う)
来週の天気予報を見ると雨マークがないので、おそらくお休みの日まで五十鈴川だよりは書かないだろう。だがわからない、書きたいことが忽然と湧いてくるやもしれぬ。気分が乗った時は書き、気分がのらない時は文字を打って、おのれを鼓舞、叱咤激励するためにも必須の、いまや五十鈴川だよりだからである。
梅雨の晴れ間、大地の上で草を刈ったり、植栽の枝の剪定をしたりできるだけの体力が続く間は、(単細胞の私はこの労働が好きである)五十鈴川だよりも文字を打ち続けられる(書くという表現はやめることにした)のではとの、淡き自己幻想に耽る、つまり文字を打つ手仕事も同じように好きなのである。私自身が生きてゆくために必須なのである。
さて、いつものように話を変える。昨日NHKで落語家、桂小三治師匠の、非常事態で寄席が自粛閉鎖される中コロナと闘いながら、高座に上がる執念の姿を追ったドキュメントと、NHKBSで、喜劇役者、伊東四朗さんのこれまでの人生をを振り返りながら、今現在の姿を追ったドキュメントを、たまたま見る子ことができた。
長くなるので、詳細は打たない。ただただいいものを見させていただいたと、五十鈴川だより打っておきたい。齢80歳を過ぎた一人の落語家と、一人の喜劇役者の対照的で稀な存在としてのお二人に、芸人としての誇り、矜持、魂をみた。
なぜあのような、傑出した芸能者が(芸風、分野は全く異なるが)存在するのか、秘密はどこにあるのか。生れ落ちた昭和という時代背景、環境、出会った先人芸能者から学んだ何よりも素直で、真っ当なご自身の飾らない性格など、運命というしかない無限の因子が精妙に絡み合いながら、AIでは生み出し得ようもない、不世出唯一無二の芸能者が存在しているのだと思える。
ごく普通に、市井の片隅で今を生きている私が、お二人に感じ入るのは年齢が一回り離れているとはいえ、かなりの部分でまさに昭和の匂い、同時代を生きたおびただしい芸能者の記憶(いまはあの世に召された)が私の中にあるからである。
お二人に共通する、お亡くなりになった先輩芸人たちへの敬意、それを受け継ぐ芸能者の遺伝子のあまりの真っ当さ、責任感のつよさに私は打たれたのである。腰の低さ、低姿勢から、世界を見つめるしたたかさ。
小三治さんも伊東四朗さんも、饒舌には語らない。全身で醸し出す、後ろ姿で、たたずまいで、しぐさで、照れて、またや、じっと目を見て、淡々と身体を風吹き抜けるように語るのである。
余人をもって代えがたい味は、まさに一朝一夕にはならないのだと知る。まさに時代が不世出の芸能者を生むのだといわざるを得ない。映画全盛期からテレビ善全盛期、焼け跡から、貧しさを知る庶民の側から、戦後の昭和からの出発。そして令和の今を今を生きるお二人。
脈絡がないが私は想像する、まずは移動する旅芸人、サーカス、放浪のジプシー、盲目の歌い手から、季節ごとのお寺や神社でのお祭りの角付け芸人、文士(シェイクスピアはまさに希代の文士である)物売り、ストリップ、上品下品猥雑ひっくるめ、あらゆる多種多様な芸能者の存在の何という世の中を映す今は消えた至芸の数々。(その芸人DNAを受け継ぐ桂小三治師匠や伊東四朗さんは絶滅危惧種である)
やがて100年以上前の映像の発明による大激変、無声映画からトーキー映画へと移行、テクノロジーの発達、そしてテレビ全盛時代へと。社会の変容と共に芸もまた時代に合うように変容し、画面に映る芸へと。わずか1パーセントで100万人が見るといわれる。
しかし、心ある芸人はテレビに出ながらも、原点の芸人魂は失わない。少ないお客を相手に生でしか伝わらないネタを足を運んでくれたお客に直接体で伝える。小屋芸と常に底辺大衆に寄り添いながらも時代を風刺、時に権力者たちを底辺から揶揄する芸人根性。
打っていたら、つい長くなった。齢を忘れいまだざわざわする。感動するばねが心にある間、草刈りができる間、ともかく素敵に生きた過去の先人たちから学び、今を生きておられる、先人お二人の爪の垢でも飲む気持ちで、キィが打てる間は五十鈴川だよりを綴りたい。
(インターネットの御時勢、私もまた絶滅危惧種を生きているとの自覚がある)
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