2021-06-24
立花隆さんがお亡くなりになり、謹んでご冥福を祈る朝に想う。
一言ではくくれない、多岐にわたる知的好奇心のおもむくがままに、まさに人生を突っ走った知の巨人といわれる立花隆さん(と気軽に呼ばせていただく)がお亡くなりになった。享年80歳、1940年のお生まれ、私より一回り年上である。私がその名を刻んだのは、やはりロッキード疑獄事件である。立花レポートが文芸春秋に連載され、結果時の宰相田中角栄が逮捕され、いまだ語り継がれるあの事件。戦後の昭和史の中でも、特筆すべきまさに歴史的出来事として繰り返氏取り上げられるだろう。
立花隆という稀有な枠に収まり切れない、氏にしか叶わない多分野の、年代ごとになされたすぐれた仕事の達成の数々は、今後多くの研究者の手で検証されてゆくだろう。まさに時代が生んだとしか言いようがないほどに、戦後の激動の昭和を疾走され、燃焼しつくした方ではなかったのかとおもう。五十鈴川だよりで謹んでご冥福をいのりたい。
私の書だなにも、【巨悪対言論】他氏の御本がかなりある。わかりやすい本から骨の折れる分野の本まで。とてもではないが、氏のお仕事の全貌は計り知れない。だが、わたくしごときにも大きな影響をあたえてくださったということが、お亡くなりになって改めて気づかされるのである。氏は長崎のお生まれ、長崎に原爆が投下された時5歳である。きっと記憶の奥底に長崎の惨場が刻まれていたはずである。
知の巨人は、どのような足跡を歩んで生涯をかけたお仕事を成し、突っ走って生涯を閉じられたのか、凡夫の想像力を刺激してやまない。戦前の昭和と戦後の昭和とまたがって(価値観、制度がひっくりかえった)生きた、生きざるを得なかった、もっと上の世代を含め、置かれた状況は異なるとはいえ、私はこれから上の世代が感じ経験した思いを知りたい、学びたいという思いが、このコロナ渦中強くなっている。
冷静に考えると、元気に活動でき、学ぶ時間はさほど残されてはいないのである。昨日も書いたかもしれないが、少年老い易く学成り難しなのだが、いよいよこれからの10年を生活者として、地に足をつけながら書物の海を耽溺したいと思うのである。それにしても老いや死は、ある日突然やってくるという徒然草の言葉が沁みてくる朝である。
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