本文とは関係のない書物です |
五十鈴川だよりいつまで打てるかはわからない。ささやかな、極めて個人的な揺れる流れを、起きて間がない老いゆくうろんな躰に、思い浮かぶよしなしごとが打てれば、一日でも長く撃ち続けたい。
何よりも自分自身という命の器を、鼓舞し元気づけるために、私にとって五十鈴川だよりは私の命の流れそのものといってもいいくらいに、打ち続けている間になってしまったのである。
生家から約20㎞のところに、 故郷が生んだ歌人若山牧水がいる。今も家が保存されていて、川を挟んで記念館がある。数年前の夏、私はその川で初めて泳いだ。小さい子供を泳がせて遊ぶには最高の場所である。
話を戻すと、その牧水がこんな歌をうたっている。【今日もまた 心の鐘を打ちならし 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく】今の自分の心境もそのような塩梅である。
おまじない儀式のようなものと化しつつある。きわめて超わがまま金太郎あめのような五十鈴川だより、なのである。その傾向は手術をする前と退院後では明らかに変化がみられるように、おもう。より自然の流れになってきたというか、あるがまま、ある日突然なにがしかの出来事で五十鈴川だよりが打てなくなっても、悔いのないように、打てる今をこそ生きなむとす(いきなり文語体になってしまいました)
さて、いつものように話を変える。昨日朝、ゆっくりと少しずつ読み進んでいた、城山三郎著【辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件】を読み終えた。著者が昭和36年に書いた小説である。私はまだ9歳である。
著者の履歴を読むと直木賞をとられて二年後の作品である。著者は昭和2年のお生まれだから、著者が34歳の時の作品である。なぜ自分がこの小説を今読んでいるのかを打って記すのかは省くが、城山三郎さん(と気軽に呼ばせていただく)のあまりにも無垢で純粋な生き方に打たれたからである。
最愛の奥様に先立たれたあと、ご自分も後を追うかのようにお亡くなりになって、見つかった遺稿が本になり【そうか、もう君はいないのか】読んだのは、2008年のことである。
もう今から13年前といえば、私が56歳である。長女が大学生次女が高校生だった。今は昔である。城山三郎さん他、今は亡き私の好きな方の御本を読めるということ、特にこのコロナ渦中生活の中で、心ある作家の遺された作品に虚心坦懐に向かい合い、渾身を籠めて紡いだ言葉に耳を傾けることは、救いである。
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