間もなく夏至である。夜明けが本当に早い。今朝はさわやかな梅雨の晴れ間が窓からのぞいているが、日中の気温は相当に暑くなるとの予報が出ていたので、できる限り集中して涼しいうちに、五十鈴川だよりを打ちたい。
特別に打ちつづりたいことがなくても、打つのである。机の前に座るのである。すっかり日々のおまじない儀式のような五十鈴川だよりになってきたのは、やはりコロナ渦中生活で、極端なまでに行動範囲が限られた中での生活を、一年以上 も続けてきたせいであることは確かである。
初めて収穫したキュウリ |
五十鈴川だよりは還暦を過ぎて、どこか時代に翻弄され、移ろいゆく自分自身のゆれる内面の在り様を、蜘蛛の糸のようにコトバにすがって、先日も書いたたが、いわば心を鼓舞する鐘だからである。
自分の命を運ぶのは、自分の考える葦(足)である。限りなくルーティン化したかのような人生で初めて経験する日々を静かに送れているのは、逆説めくが還暦までさんざん動ける身体で動き回ってきたからではないかと思う。
誤解を招きそうだが、年齢的にいいタイミングで、コロナ渦中生活を送らざるをえない状況になったのは、極めて個人的にはよかったのではないかと、今は考えられる自分がいる。
対面での声出し他ができなくなったおかげで、思考する時間が増えた。 世の中に出て半世紀、こんなにもゆっくりといろんなことを自省しながら、(時にいまだ怒りながら)五十鈴川だよりを打ち続けられていることに、どこか自己満足的に安堵するのである。(でももうどこかコロナウイルス情報にはうんざりである)
とくに手術して後は、どこかいい意味であきらめ、達観というには程遠いのだが、煩悩を受け入れつつ、帚木蓬生先生いうところのネガティブケイパビリティを、生きてゆくのだと、どこかで得心している私である。
早い話、ヒトは自分の人生からは息を引き取るまで、この舞台から逃れられないのだと、知る。ならばハムレットのように、覚悟するしかないのである。(じたばたしながら)いかに与えられた時を生きるか、生きないか。
忽然といつものように話を変える。五十鈴川だよりを打ち始めた時に、これからの10年は(晩年時間の)大切な時間になると書いた記憶がある。長女が大学を卒業し社会人になったころばかりのころ。そして今また思う。
これからの10年はますますもってコトバ化しにくいが、大切な10年になる、大切に生きねばと覚悟の念は深まる。(孫の13歳を見ることができるだろうか)先の寿命は分からないからこそ、その思いだけはきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。
果たして10年後、生態系は、人類の行く末は、わが暮らしは、いかように変容しているであろうか。凡庸な初老凡夫の想像を絶する事態が、出来しないことを祈りながら、地上の片隅から、雨の中からだと対話しながら、年寄りにできること(身近な孫のお相手もさることながら)の可能性を思索したい。我夢想するゆえにわれあり。
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