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2021-04-12

術後リハビリしながら、たまっていた新聞に目を通す、そして想う④

朝が来た。とはいっても夜明け前、外はまだ暗い。もう何十回も、五十鈴川だよりを書き始めてから書いているが、この静かな時間帯が私は一番好きである。起きてまだ間がない体で、胡乱な状態で何かを綴る。

書きたいことのほとんどは、書き始めてその日の躰が、精神が発すること、想うことを綴っている。予期せぬ手術入院以前からそのことに変化はないが、あきらかに手術入院以前と以後では 初老男の肉体は変わってしまった。だからおのずと物思う心も緩やかに変容しつつある。

肉体労働リハビリのおかげで、ずいぶんと動け、こうやって五十鈴川だよりを書けるほどに気力は回復してはいるが、集中力、持続力他、いまだ以前のようには体は動いてはくれない。だが私はそのことをまったくネガティブには考えていない。

身体は思うに任せぬにもせよ、意外なことに心は以前には思い及びもしなかったようなことに、反応するようになってきたのである。それは一言でいえば、生まれて初めての手術入院で、弱者(生まれながらの難病、奇病、事故他、あらゆる運命の不遇、陥穽を生きておられる方たち)への想像力が爪の垢くらいにもせよ、以前にもまして感じるようになってきたのだ。(ように感じている)。

話は変わるが、手術入院、後退後、ししばらく新聞や本をまったく読む気がしなかったのだが、五十鈴川だよりを書けるまえから、新聞や本もようやく読めるようになってきた。読む速度は以前よりずっと遅いのだが、じっくり落ち着いて読める。

体重が落ち(いちきろもどった)筋力が萎え、肺活量が落ち、息が上がりやすいので、オーバーではなく、細心の注意をわが体に払いながら、落ち着いて動かざるを得ない。そのことを、今私は前向きに、ポジティブにとらえながらリハビリしている。

約2週間かけて、たまっていた新聞にも、ざっとではあるがようやく目を通すことができた。幸い時間があるので、亀のように。こころが反応した記事は、以前のように切り抜いた。

話は変わる。自分のことだけで精一杯のこのひと月以上の間、ミャンマーでの悲惨極まる、一般民衆へのジェノサイドには、こころが痛く疼く。理不尽、不条理、言葉がむなしい。虐げられる側の(子供や若い女性)人々に想いをはせる一人の初老男子でありたい。

都会では、ミャンマー人や日本人の有志がSNSで声を上げ、ネットや街頭で、NOの意志表示の輪が広がり始めている。一人一人が我が身に置き換えての想像力、良心を持ちたい。見て見ぬふり、無知、無関心、無教養、、、。五十鈴川だよりを書く一人の人間として、何としてもNOの声を上げ、意思表示を継続持続し、同じ思いを共有できる方々と連帯したい。

 

 


1 件のコメント:

  1. 松田龍太郎12/4/21 7:18 午後

    お久しぶりです。私は既に手術なるものを3回行い、治療も何度か体験しています。A型肝炎の時は、1年以上も元に戻らない体験もしましたが、自重することを悟った良いきっかけになりました。お陰かどうかわかりませんが、コンサルタントになってから21年間は病欠はゼロ日になっています。病気も教訓になります。コロナで出張も昨年の3月からままなりませんが、それなりにZoomセミナーなども新規に取り入れながら、何とか息をしています。病気も良い考えをいただけるきっかけと考えられて、明日の英気を養ってもらえたら幸いです。お元氣でお過ごしくださいませ。

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