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2021-04-24

退院してひと月、春の陽光の中、つれづれ、感慨に耽り想う。

 今朝の新聞の一面、4都道府県に3度目の緊急事態宣言の大文字、明日から来月11日まで、とある。

この一年以上にも及び、次々にあたかも人類を煙に飽くかのように、変異を繰り返し生き延びる、コロナウイルスの前に、なすすべがないかのような印象を地方に住む老人の私は持っている。

二人の娘家族は、東京に 住んでいるので、いつ何時感染してもおかしくはない状況下にある、そのことを案じ心配するのは、大都会で生活して居る子や孫を持つ、全国の地方在住の親には共通のおもいであろう。

だから、いまだ得体の知れないコロナウイルスの脅威に関しては、私見を述べる術はないし、わからない。限りなく密に遠く、地方で静かな老人ライフの今を生きている私には、緊急事態宣言という言葉が、どこか遠くに感じられる。だから、とりとめのない五十鈴川だよりになるので、この話題は止す。

昨日、退院してからちょうど丸ひと月が経過した。自分の体なので自分が一番よく、この間の体の変化推移が覚る。

天の下での労働、規則的な一日のリズム、食生活、家族の支えで、自分でも驚くほどに体調が戻りつつある。体重も2キロ以上戻り、肺活量や筋力も普通に動ける程度に回復し、とりたててリハビリという意識を持たなくても、労働を中心とした生活の中で自然と回復へと向かえている。うれしく有難い。

わずかではあれ、人生で初めてといっていい痛い思いと、不自由さを体験したことの重みは、退院してかなり回復するにつれ、ましては来ないものの、減ることはない。

手術以前とは、あきらかに何かが変わってしまった。だからこの際、千歳一隅のチャンスととらえ、可能なら生活の部分を少しでも見直したい、できる時間のうちにとの念い。

言うは易し、この年齢まで培ってきた、おのれのお恥ずかしき実態の様々な諸相は、そうはやすやすと変えられるものではない。まして、どう考えてもいい歳である。分相応、そう肩ひじ張らず、老いつつやれることから始めよう。

お医者様に血糖が高いので、甘いものは控えるようにといわれたので、大好きなチョコレート、おはぎ、大福ほかの甘いものや、アルコールも一滴も口にしていない。とりあえずこの2点だけでも持続しているのは、些少の変化である。(食事も可能な限り自分で作り、妻の負担を減らし、掃除、買い物他、身の回りの生活の自活、細部を大事にしたい)

家の近くの海、山里のエリアで、穏やかに春の陽光を浴びつつ、世界の動向とは、非常なほどまで無縁に、死はいつも突然背後からやってくるとは、徒然草(だったか)。もう我が年齢はいつでも非常事態がやってきても不思議ではない。(のである)

この度の手術入院は、命のはかなさ、と今在ることへの敬虔な祈りへの気づきを深化させてくれたのだと、一月たち感慨にふける私である。


 


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