退院して2週間が経過、徐々に徐々に、本当にゆっくりと体は回復している(のがわかる)。だからうれしい。何をするにしても体が健やかでないと意欲というものがまったく湧いてこない。なにもできないのだということを、今回の手術入院で私は学んだ(ように思う)。
詳細にはつづれないが、腕には点滴、おなかには 5本の管をぶら下げ10日近く過ごした間は、本当に痛みと不自由さの中で、生きた心地にはあまりにも遠い、なんとも形容しがたい体験を私は69才の肉体年齢でした。
退院後、2週間が瞬く間に経過している。当初、家で何をするにも以前のようには体は動いてくれなかった。寝室と書斎を兼ねた部屋への階段の上り下りも、足の筋肉が衰えていて、すぐに息が上がり、なかなかに骨が折れ急激に老いを認識、実感した。
だが今これをかきながら(書くこともリハビリ)想うのは、身体というものは意欲を掻き立てる、言葉にならない、コトバにできないできない何か心の支えがないと、リハビリ他何一つ叶わないのだという厳然たる事実である。
だが体、命は玄妙精密、意識が働けば応えてくれる。退院後わずか一週間で肉体労働アルバイトの許可が出るまでに回復するとは思いもしなかった。M先生は管が外れたらとにかくわずかでも歩きなさいとおっしゃった。少々痛くとも不自由でも体の数値は快方に向かっているから動かせといわれたのである。(まったくその通りであった)
軟弱な私だが、術後食欲は全くなくても、出された病院食は時間をかけて3回ともほとんど平らげた。生きようという強い思い、回復するのだという意欲 はすべての管が外れた10日目あたり、M先生の言葉に従い院内の廊下を歩くことから再起、動き始めを開始した。少々痛くても動いた。休んでは歩き、休んでは歩きの反復、萎えた足の筋力アップから。
妻をはじめとする、家族の存在応援、孫の動画が大きく私の体を動かした。動く、とにかく動く。1日でも早く退院し、外の空気が吸いたかった。最後の1週間は院内のリハビリルームで担当の若い女性と共にリハビリをした。(この方がまた感じよかった)
院内のリハビリ開始を含めほぼ3週間、ずいぶんと歩けるようになり。昨日、一昨日と午前中肉体労働アルバイトを、私の体を案じてくださる75歳の先輩T氏と共に、何とかすることができた。お医者の許可が出たとはいうものの、不安がなかったといえばうそになる。が、あえて私はいやでも身体を天にゆだねる気持ちで、痩せて萎えた術後間もない体に活を入れ、草刈り機のエンジンをかけた。
エンジン音が春の天空に響き渡り、草刈り機を担いだ私は、以前の半分くらいの速さでゆっくりと動き始め草を刈ることに集中、何とか予定のエリヤの草刈りができた。案ずるよりも産むがやすし。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。T氏が私の早い復帰をことさらに喜んでくれた。
体の意識がやる気になれば動くということ、勇気をもって事に当たることの大事を再認識した。T氏というかけがえのない相棒と、馬鹿な冗談を言い合いながらの愉しいリハビリ労働は、家での一人リハビリとは比較にならない効果がある。
生命力そのものの、春の息吹の植物、樹木、雲雀その他の野鳥に囲まれ、青空の元雲を眺めながらの肉体労働は、うってつけのリハビリだと得心した。
食生活も一変、お酒は一切口にしなくなった。飲食も、生活習慣も古希を前にすべて反省、見直すことにした。(なんだか面白みのない初老男になるやもしれぬ)元の体重に戻り、ある程度の筋力が戻るまで、リハビリ期間とすることにした。
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