コロナ、オリンピック、米中外交、原子力環境汚染水処理等々、魑魅魍魎国益思惑が複雑に絡み超込み入った、パンデミック山積メディア報道には以前にもましてうんざりしながらも、このままでは私自身が思考停止老人として、生を閉じるのではとの危惧がリハビリ生活の中芽生えている。
論旨にまとまりがなくとも十分に老いているので書けるときに思い浮かぶこと、感情を書いておきたい。
半世紀以上も前の高校生の時にベトナム戦争での悲惨な、一般庶民や小さい女の子が裸で逃げまどう映像、佐世保に原子力空母がやってくるのを阻止するために、学生や市民がデモンストレーションをあげて戦っている映像をテレビで見て、無知丸出し素朴な田舎の当時の田舎の高校生に与えた衝撃の大きさは計り知れない。何か得体のしれない不気味な、これから先の未来を生きなければならない茫漠とした不安感を少年の私に植え付けたのだ(と今にして想う)。
だからその後、振り返ると、このような人生を送ることになったのかもしれない。漠然たる未知への不安、無知なまだ少年の域を出ない、多感で繊細な時期での時代の触覚のアンテナにわが体と心が、慄いたのである。
半世紀以上の時が流れ、思わぬ手術入院。術後リハビリ生活の老人の身であるが、あの慄きの感情が、今も心のどこかで少年期の自分と通底しているのを再自覚したのは、ミャンマーでの民衆弾圧殺りく映像を、退院後NHKスペシャルで観たがためである。
人種民族、宗教、領土資源、大国による正義を掲げての戦争や、代理戦争は我が国以外では止むことなく続いている。インターネットも軍需産業から起こったと漏れ聞く。テクノロジーや科学はおびただしい化学兵器を(人類史上初めてわが国に落とされた原子爆弾、アメリカ国から)今も生み出し、軍需産業が栄える。だが人類に平和は遠い。格差はとめどなく広がる。最近新聞で読んだ気がするのだが【正義とは分け与えることである】との哲学者キケロの言葉。(だったと思う、定かではない)
戦後も76年、被爆者の苦悩は続いていて多くの方は、超高齢である。生まれていなかった、知らなかったでは済まされない、世界の大多数の弱者 、闇に葬られ消えてゆく無辜の人々の声に、耳を傾ける勇気を持たないといけないと、術後間もない老凡夫は自省する。
アフガニスタンに散った尊敬する中村哲先生は、日本人の感覚からは程遠い 峻険な霊峰の下、苛酷な大地で、自然と最も弱い底辺の民に寄り添いながら、雪解け水による農と牧畜で、生活をし、極めて普通にまっとうにイスラムの神をよりどころに感謝して生きている、文字も読めない、庶民の姿を何十年も前から伝えている。
先生は逝かれたが、銃を置いたアフガニスタンの民と共に、十数年かけて、温暖化で干上がった干ばつの大地に用水路をまさに 創造し、緑の大地として蘇らせたた奇蹟は私の筆力では到底語りえない。
歴史的に長い間、大国の緩衝地帯としての不条理を、生きてこなければ来なければならなかった、アフガニスタンの民の痛みを、心血を注いで伝えた、先生の偉業は何としても五十鈴川だよりに書いておかねばならない。偉大な死者は、今を生きるあらゆる困難な民の一隅を照らす。
著作を(アフガニスタンの診療所から・ダラエ・ヌールの道・始め、初期の作品に私はびっくりした、20年近く前)通じて、一滴一滴未知の世界の現実を伝え続けてくださったのである。今となっては永遠に刻まれる生き方、お仕事をなさったのだと、あらためて畏怖心服する。
自主独立、自給自活、流血のない穏やかな生活 をこそが神の愛だと、中村先生は全身全霊でつづり伝えている。術後間もない初老男の私だが、これからの行く末いかに生きるべきか、心がいまだに揺れるのは、リハビリ生活が良き方に向かっているからだと思うことにしている。
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