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2021-04-10

初めての手術入院で考えたこと。そして想う⓷

またもやちょっと真面目な⓷回目の 五十鈴川だより。午前中は肉体労働に復帰し、土曜日お休みの日の朝である。

極めて個人的に、今日思うこと、考えていることを つれづれ、雑記録ふうに書いておきたいと思う。さて、かなり以前のように生活するには支障がない程度に、身体が動けるようになり、何よりも青空の下で半日リハビリ労働ができることの幸運。幸せを噛みしめている。

わずか、ついひと月前はひーひー言いながら管をぶら下げ、病院のベッドでままならない身体での不自由、不安感の中、生と死についていやでもおもいを巡らさずにはいられない、今となってははなはだ、(もう2度としたくはないが)貴重な出来事を、この年齢で経験したことの重みを、退院後日々感じながら生活している。

なくしてみて初めて分かることがある。病院のベッドで、初老男の私は想うに任せぬ肉体と精神状況の中、(特に管が外れるまで)簡単に記せば、やはり生と死について、普段は考えないこと、もっと書けば考えても迷宮に陥りそうなことを、やはり出口のない穴の中に落ちたような気分で、考えていたようにおもえる。

あの稀な状況の中での自分と、今五十鈴川だよりを書いている自分は、同じ自分ではあるとは言えるが、あきらかに異なる肉体状況を今は生きている(生きられている)という認識である。

運命というものの摩訶不思議さに想いをはせずにはいられない。これは病気になるとかならないとかの次元の問題ではなく、ヒトは等しく何らかのアクシデントや事故になるやならない境界の上を、日々生きているのだという認識の深まりである。道とは未知である。

幸いなことに老いつつある肉体は回復し、退院でき、歩き動け、わずかとはいえ働け再起動。細胞は日々更新し、今現在の老いつつある日々の思いを五十鈴川だよりを書きながら更新(新しき自分という他者との問答交信)できるという有難さへの気づきの深まり。

先の見えないこのコロナ渦中生活の中で、私の身の上に突然起きた手術入院の出来事は、あきらかにこれまでやってきた、(やってこれた)生活、暮らし方、生き方を変容をさせる。

手術入院で思い知ったことを、いい方向に捉え反省し、自省し、これまで情熱を注いできたことが叶わなくなっても、けっして後悔しない、新しき細い道を家族や大切な方々と歩みたい。

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