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2017-04-28

佐藤優氏の本を読み続けて10年、このような作家が現代日本に存在することは救いだ。

おそらく、バカの壁の新書が爆発的に売れ始めたころからではないかと思うが、高価な本が売れなくなり、私のような経済的に余裕なきものが、なんとか月に数冊買える本の単価が新書価格、つまり千円以内で買える本である。
今この2冊を時間を見つけて読んでいる、面白い。

何度も書いているが、私は本を読むのが遅く、理数系の勉強をまったくといっていいほどしてこなかったし、学校へ行くのも嫌だったし、つまりは18歳まで、あまりにも学ぶということを放棄してきたがために、世の中に出て、オーバーではなく大いなる苦労を抱え込む人生を歩むことを余儀なくされた。

私の頭にかすかに光が差し始めたのは、日本から遠く離れた英国で一年間暮らし始めたころからではないかと自覚する。異国で日本語に飢えた私は、日本語の文字を手あたり次第読むような感じで過ごした。

いまだに謙虚に無知蒙昧を自覚する私だが、そのころから少しずつ少しずつ、体験しながら本を読み続けるという営為を持続している。

知る学ぶ、ということの 奥深さは、深遠にして深く、とてもではないが、、、。わたくしごときが感知しうる学べる世界は、きっとわずかなのであろうと、俗に知識人といわれる地頭のすごい方々の本を読むと痛切に感じる。

そのような私が信頼している地頭(この言葉も佐藤優先生から学んだ)の持ち主が、妻と同じ年の佐藤優先生である。

その多面的、多方向からの、博覧強記の思考洞察は、すぐ一面的な思考方向に踊らされがちな私などには、佐藤優氏ならどのように見立てているのかと、氏の本を買いに走るのである。

そこでへーっと感心し続けていることは、いまも 続いている。私が55歳、いまから10年前に初めて氏の本を読んだ時の驚きは忘れられない。おそらくあれから10年、私がもっとも気にしながら、頼りにしている知識人作家の一人である。

オーバーではなく、このような知識人がいてくださらないと、烏合の大衆の一人の私など、安易な情報に踊らされてしまうに違いない。
この新聞記事から私は氏の本を読み始めた、10年間が過ぎた。

なにより、目配りそのセンスには脱帽すること度々なのだが、それは我々庶民が入手にしやすい新書版での本を数多く出されているにも表れている。

新書を入口にして、より深き世界を知ることの大事を、諄々と説いておられるからである。いささか遅きに失した感も否めなくはないが、この10年氏のおかげでどれほど教えられ、勇気が持てたことだろう。

単なる物知り知識人は星の数ほどいるが、体験実践に裏打ちされ、修羅場を潜り抜け、512日間の獄中にあっては、この際徹底的に難解極まる本を読みこみ、下獄されてからの八面六臂の作家活動には瞠目するばかりだ。

専門バカは私の見るところ、あまたいるが、センスとユーモアを失わず、人民(古いとお笑いなさるな)目線感覚を 失わず、大事なことをきちんと伝え教えてくださる本物の知識人の重要性は、今の混迷極まる時代の渦中では、本当に貴重な作家であると私は頼りにしている。

思わぬ、五十鈴川だよりになりました。今朝はこれにて。


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