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2017-04-08

ゆるやかに動く身体で、丁寧に日々を送りたいと自戒する春。

お花見時の菜種梅雨といった按配の空模様が続いている土曜日である。土日は妻が仕事がお休みなので、努めて妻との時間を過ごしたいと考えてしまう還暦後の私である。

珍しくゆっくりと寝て、起きて朝食を妻と共に、気持ちのいい外で済ませてのブログタイム。さて、65歳の生誕の二日前の、2月11日が私が徳山道場の弓道教室での初稽古であった。寒い日であった。

今日が4月8日、ほぼ2カ月で 本当に暖かくなった。すごいスピードで地球は自転する。毎週土曜日夜が弓道教室の日であるが、それ以外の日でも、特別のことがない限り、道場には先生の許可を得て出入り自由なので、わずかな時間を見つけて、私は自主稽古を、特にこのひと月するようになった。

以前も書いたが、何事もすべてはそうだと思うが、見ているのと実際やるのとではまったく異なる。たまたま65歳のタイミングで、何故か始めてしまった感のある(説明しがたい感情が高まったのである)弓道世界なのだが、(初めたばかりだが)なにやらいままで経験しなかった感覚を体が感じ始めている。

体の中を、新しい時間が流れてゆくような 、とでもいったらいいような感覚が生じ始めているのである。一言でいえば新鮮な時間が流れてゆくのである。

還暦を過ぎてから始めた、土と親しむ時間、声を出す時間、に弓を弾く時間が今年から加わることになる。なにやらこの3つが、これからのしばらくの間、私のきわめて大切な晩年時間時間になるのは間違いない。

そこで、五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方や、フェイスブックとうでいろんな個人情報を送ってくださる方には、はなはだもって申し訳ないのだが、不義理の数々をしている。

以前も書いた記憶があるのですが、自分がデジタルでブログを書きながらも(幸いほとんどコメントもないので)そのようなデジタル世界での交流には、自分は不向きな性格を自認しておりますので、ご容赦くださいますようお願いしたいのである。
丁寧に書かれた心からのお手紙、ありがたい、私は反省する。

 とりあえず、有限なる人生時間、やっと訪れた限りなく自由になるわが人生時間を、五十鈴川だよりを書くこともそうだが、自分自身の欲するがままに、流れてゆけたら、それに勝る悦びはないといった、こころもちの65歳の春なのである。

ところで、話は変わるがインタビュー本(本になるのはいまだ未定、いずれ自分で何らかの小冊子にでもしたいとは思うが)のテープ起こし原稿をコピーして、30人くらいの友人知人に送ったところ、思わぬ身に余るうれしい反響を、お手紙やお葉書でいただいた。

親ばか丸出しだが、わが娘からもメールではなく、お手紙をもらった。手間暇をかけた丁寧な文字書きには、やはり心がこもっていて、私の胸を打つ。

そして、自分を反省する。自分ももっと丁寧に人生を送らねばと、痛く念じる自分がかろうじて存在するのだ。人生も限りなく後半になっての自戒は深まり、より丁寧に日々を過ごしたいと思うのである。

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