満開にはまだ程遠い桜だが、この数日の暖かさで一気に開花しそうな気配である。週末、天気の塩梅も気にはなるが、家族でほんのちょっとお花見ができれば、もうほかにはいうことのない春である。あらゆる山野草が、春の喜びを告げている。
カルチャー教室ではハムレットを読みます |
そして、5月には85歳になるはずの母が、ことのほか元気であることが、我が家の穏やかな暮らしの中心である。母を含めたお花見が今年もできれば、もういうことはない。
下の娘も社会人になり、週末は私と妻と母と3人で過ごすことが多々多くなることは、いたし方ないとは思いながら、これも浮世の定めということで甘受している。
ただ、昨日も書いたが、家族全員が今のところ健康で、会話が成り立ち、生きて動いている、そのこと一つとっても、有難いことといわねばならない。
早寝早起き、まだ暗き夜明け前に、よしなしごとを つづれるなんてことが、継続できている今、この瞬間を寿げる、中庸的な平凡の極みの暮らしの中にこそ、非凡を感じる。(世界に目を転ずれば、あまりにも痛ましい出来事の数々、言葉がない)
さて、遊声塾の発表会を終えて10日、今夜からまた新たなレッスンが始まる。5年目にして初めて悲劇【リア王】に挑む。
塾生と私の7名で読めることが、本当にうれしい。塾を立ち上げた時に、まさかこのような日がこようとは、皆目思わなかったのだから。やはり勇気をもって、思い切って開始、つくづくよかった。
なにやら、あらゆることが65歳にして、丸4年かけてようやくリセット されたような気が個人的にしている。だからなのだと思う。3月からどこか体の中が軽くなり、五十鈴川だよりを書くのが以前にもまして流れてゆく、感じなのである。
ほとんどパソコンを開くまで何も考えていない。一行書いたら、次の一行、てなもんなのである。このようなわがまま、いい加減ブログを、読んでくださってくださる方がおられるのもうれしいというほかはない。
【書くほどに・喜び満 ・夜明け前】 今朝はこれにて、皆様良き春を。
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