今日はちょっとうれしい朝である。今夜夜遅く娘と怜君が帰ってくるからである。家族全員がそろうのは今年初めてである。
私は先月会っているが、妻や母や娘は初めてなので数日前から、あれやこれやとかまびすしくも感じられるほどにうれしそうである。
再三ブログで家族とは何かということを書いている。まったく私もわからないのだが、若いころ不安定の局地的生き方を選択していた私にとって、妻と巡り合い娘たちと出合えたことは 完璧に私の人生を変えたことは確かである。
よもやまさか、こうも自分が変わるとはと思えるほどに私は変わった気がいましている。そして今、長女が巣立ち、伴侶とともに帰ってくる。オーバーではなく、ひとり私は感無量である。
その伴侶はドイツ人であり、第一次世界大戦では敵方として戦った国なのであるから、世はまさに隔世の感、だが事実である。誰一人時代の数年先は読めない、だからいまが尊くすべてなのだ。
話は変わる、いささか暗い話題で恐縮だが病気やほかの諸事情で家族がなく一人高齢化した方が、過ごす終の棲家の不在が問題化している昨今、あらためて家族の在り方行く末について私は個人的に考える。
何度も書いているから端折りたいのだが、幸いにして私は身近に母の存在をこの数十年見続けているので、あのように老いてゆければいいのだという一つのモデルが在るということは大きい。
一言でいえば、時代の流れに左右されない、自分独自のつましい足るを知る生き方を実践しているということだ。
シンプルにただひたすら家族を思いやる精神には時に脱帽する。もし母が健康でなかったら、きっとこんな悠長なブログなんかを書いている余裕などないはずである。
いまや、庶民にとっての健康はかけがえのない財産である。ひとたびガンやほかの病気にでもなれば、医療費の高額さは計り知れない。
お金のない庶民の晩年の行く末に対しての今の日本社会の冷厳さは、日々の新聞に示されている。だからこそ、私はITに(あいてぃ)にされなくてもわが体に気を使いたいのである。
可能なら母のように娘たちに一年でも長く迷惑をかけないような晩年ライフをと願うのであるが、こればかりは神のみぞ知るということになるので、なるようになるというしかないが、ともあれ考えられうるときに、しかと考える力を蓄えておかねばと自戒する。
とまれ、今夜から数日は家族水入らずの時が過ごせることの、つましき幸福を感謝したい。ところで昨日昨年亡くなった叔父のお嫁さんから贈り物(宮崎の焼酎)が届いた。(怜君とのもう)
叔父の生前、ほとんど関係性がなかった方なのだが(もてなかった)心のこもった直筆のお手紙が添えられていてしばしの感慨が私の中に起こった。
つくづく人間の生と死はままならないものだ。ようやくにしてわたしにもいくばくかの余裕が育った今、今度帰省する時には お線香を手向けにゆこうと思っている。
ほとんど縁が薄かったとはいえ、縁戚関係にあたる方々である。死者はかなたから何事かを私に示してくれる。二月五日は父の命日だった。
この先何が起ころうと、なるべくうろたえながらもおたおたしないようにするためにはどうしたらいいのか自問するのだが、それは死者たちが示してくれていると私は思っている。
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