昨日は雨で竹韻庵には行かず、普段は遁と視ないTVをかなりの時間国会中継割いて午前、午後、夕方、深夜(わたしにとっては)と、編集された部分を眺めた。
TVではなく、信頼する藤原新也さんのキャットウォークのサイトもあるので、こちらからも情報を得るようにはしている。そして自分の考えを検証する。
とまれ、午後4時半すぎの理不尽極まる強行採決はしっかりと眼に焼き付けた、画面に映る議員たちの顔もかなりリアルに認識できた。
戦後70年の節目に、この数か月でかなりの人たちがデモに参加できない人たちも含め、国の安全に関して、強い関心を持ち始めたことに個人的に希望を持っている。
この安全保障法案に関して、SEALSの若者たちが果たしたアクションはとても大きいと私個人は思う。彼らと間接的に連帯したく、6月国会議事堂前と、渋谷に足を運んだことは、やはりよかった。
あれから数か月で、こんなにもおおきなうねりとなってきている現実がそれは証明されている。単純に賛成や反対と色を決めるのではなく、憲法とは、国防とは、国民の責任とは、、、。考えないといけない。
アクションを起こすことで、いやでも自分自身が自分の頭と体で考えないといけないということを、私自身がいまも痛感しているからだ。
いろんな考えが飛び交い、その中からかなりの真実がいま、見えてきているかのように私は個人的に感じている。
それを短い朝ブログで書くのは困難だが、やはりアメリカの大きな力の前に、日本が身動きできない状態に 追い込まれている、という気がしている。
信頼できる、いろんな身体をとして勉強をされている方々の情報なので、説得力がある。亡くなられた鶴見俊輔先生などは、はるか昔からアメリカによる民主主義の危機を予見されている。
ともあれ、当たり前のことだが自分たちの行く末は自国民が真摯に考えない限り、一部の為政者、大きな、戦争大好き国の力の前に屈してしまう 小さな国の悲劇である。
自戒する。戦後の豊かさの前で思考停止に陥りそうになっていた自分を感じる。若者たちの真摯な声を直に耳にすることで、私の中にも風穴があいたように感じている。
若者たちは、私と同じで平凡極まる、何気ない日常を守ろうとしているだけなのである。良識、常識、当たり前のことが、脅かされる社会の到来を、若者たちは本能的にキャッチ、素朴にアクションを起こしているのだ。
だからこその、多くの人々たちのハートに届いているのだと私は感じる。彼らと同じようにまだまだあきらめず、この法案審議の行く末、(可決されようと)そして日本という国の行く末を、ひとりの国民としてしっかりと考えてゆきたい。
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