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2015-09-02

昨日の夕方シェイクスピア遊声塾のM氏がひょっこり我が家にやってきました。

書きたいことはいろいろあれど、何はともあれ生きてゆく事がまず一番大事。自分を頼りにしてくれる家族をはじめ、ささやかに自分を必要としている人たちのためにも、それを最優先してゆきたいと私は考えている。

さて、昨日の夕方ちょっと意外なことがあった。塾生のM氏から相談したいことがあるので家に仕事を終えて伺いたい、との電話があった。

私はいい意味での意外性をことのほか好む。私が演劇を学んで一番よかったことは、日々の暮らしの中に、ささやかに演劇的な企画、意外性を生むような出来事がかなりできたことである。

その意外性を好む私の性癖は、いまもって私の中では消えてはおらずその最後の残り火のようなものが、シェイクスピア遊声塾を立ち上げさせたのだ。

その、遊声塾の塾生からの電話である。しかも家にやってくるという。いったいどういう相談なのだろうと思いつつOKし、妻に急な来客がある旨のTELを入れた。

所用で岡山にいた私は、西大寺駅でM氏と待ち合わせ氏の車で我が家に帰った。まだ明るかったので、ささやかな庭で蚊取り線香を炊きながら、私は氏の相談事に耳を傾けた。

内容には触れないが、とてもいい話だったし、何より塾生のM氏が我が家に来てくれたことが意味もなくただ単純にうれしかった。私が岡山に住むようになってから、我が家にわざわざ誘わなくても来てくれた人の数はそうは多くない。

また、誘われて家まで出かけた記憶もほとんどない。私の幼少のころの、電話もテレビもない時代とのあまりの落差、様変わりにはますます言葉を失い、あの時代にいつも精神的に回帰したい初老の私である。

私がアフリカの音楽や、インドの舞踊など、今も伝統が過去の財産が調和しながら、生命力が満ち満ちている企画を、非力さを顧みずやれたのは、きっと幼少のころの言葉にならない記憶の懐かしさを本能的に感じたからだろう。

それは、大地の香り土の香り、つまり生命力そのものを、肉体の根源性の素晴らしさに打たれたから、土と体がつながっている生命力をともなった肉体美というしかない世界に回帰したいと思ったからだ。

そして、形を変えたとはいえ、シェイクスピアを声に出す塾を立ち上げたのも、晩年生活を迎え、生きている己の体の根源的な移ろいのなかで、今出せる声、出る声を、シェイクスピアの作品を読みながら確認したいのである。

もうあまり書きたくもないのだが、メールやあらゆる利便性の機器(危機)に取り囲まれ、動物としての体の退化は末期的な症状を迎えているのではないかという、気が私にはしている。(あらゆる社会的な分野に噴き出しているように感じる)

私自身も、テレビが我が家にやってきてから、半世紀以上そういう世界に投げ込まれているので、おそらく私の肉体も悲鳴に近いシグナルを送ってきているのだ。

話をM氏に戻すが、だから昔に還ったかのように、いきなり彼がやってきたことが私にはうれしかったのだ。きっと彼も何か体が反応し、呼びかけてきたのだろう、その素直な声に従って私に電話してきたのだ、と思う。

ドストエフスキーも言っている、人間は限りなく純粋に正直に生きるすがすがしさを、時折絶対矛盾の中でも見つけてゆかないと、きっと堕落してゆく器なのだと、シンプルでいいのだ。思いついたら吉日。

結局氏は8時まで我が家にいて、妻と娘が夕飯を良かったら一緒にとさそったら、気安く食卓に着いてくれ、粗食を共にし愉しい夕餉のひと時となった。笑顔が満る食卓こそが家族の(人間関係の)宝だ。(妻と娘が食卓に誘ってくれたことが、私はとてもうれしかった)

 人間が素直に気持ちよく生きられる世の中を目指す、共生や協働、ありとあらゆる標語、言葉ををこの数十年、新聞やメディアで目にするがなんとも難しく生き苦しいややこしい時代が来たものだ。観念や理屈よりシンプルなアクションこそが大事だ。声を出し行動すること。

内なる声に素直になれない、もしくはもうそれすら自覚できないほどに、自分の気持ちのいい声を現代人は(自分も含めて)喪失の危機のスパイラルに巻き込まれつつあるのかもしれない。

だが、私は希望を持ち続ける。少数であれ自分の内なる感覚をまっとうに生きる、家族、仲間や友人たちと、せっかくの人生を可能な限り、笑顔で送りたいと考える。

ところで、最後にM氏は週末国会議事堂前のSEALSの呼びかけデモに参加してきたといい、氏の職場で(労働組合の) 書いた一文を読んでくださいと、私にくれた。

今夜は、遊声塾の日だ.メンバーの今日の声と出会えるのが楽しみである。

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